私が日頃心掛けていることがある。
かみさんや子ども、その他知人・友人との会話に、意識的に挿入する、自分がアルコール依存症であることの自覚&再認識の言葉だ。
例えば、の例を3つばかり。
その1.昨日の日中、娘と出かけた先でコンビニに入った時の会話。
のみすけ:「パパはこれだ、バニラのモナカ、○子は何にするの?」
娘:「ん〜。アイスじゃなくて、チーズケーキがいいんだけどなあ」
と、店内を歩きつつ、酒の陳列コーナーを通過。
の:「あ!パパの鬼門だ!」
娘:「キモン?」
の:「鬼の門な。逃げよう!」と、わざとダッシュ。
娘:「あ〜、確かに。飲んだらヤバイもんね」とニヤニヤ。
その2.昨夜、かみさんと行った夜の買い物の帰り、赤ちょうちんに群れる人々を見ての会話。
のみすけ:「日曜なのに、飲んでるねー」
かみさん:「あー、あそこの店ね」
の:「オレ、もうああ言うの見ても吐き気しか感じないよ」
か:「ハキケ?」
の:「あの人たちが飲んでるものは、オレには毒だもん」
か:「確かにね。止まらないしね、飲みだしたら」
の:「もし、あそこに参加したら、朝まで飲み続けちゃうなぁ、きっと(笑)」
か:「もぉー! 勘弁してね、それだけは」
その3.たまに繰り返すスポーツジムの師匠との会話。(師匠は高年齢なので、同じことを何度も聞いてくる(笑))
師匠:「のみすけさん、もう全然酒飲んでないの?」
のみすけ:「え~、もう2年以上経ちますよ」
師:「良くやめられたねぇ~」
の:「私の場合、ビョーキなんで、飲むか飲まないかどっちかしかないんです」
師:「ビョーキ!?」
の:「酒を飲み出したら止まらないビョーキですよ(笑)」
飲んだくれ時代に家族にかけた大迷惑は、決して消えるものではない。2年半の間飲まないでいるからと言って、そんなことは当たり前のことで、威張れるものでもない。
こんな風に、わざと公言し、大袈裟に酒を避けることが、自分にとっても家族にとっても、周囲の人にとっても効果的なのである。
→ 自分にとっては、酒の恐ろしさの再認識となる。
→ 家族にとっては、家庭内の獅子身中の虫の元飲んだくれ親父が、ちゃんと自分自身を分かっていて、飲まないんだなと安心出来る。
→ 周囲の人には普段から酒を飲んだら止まらない病気だと吹聴しておくことにより、いざ飲み会などの時に、いちいち説明の必要が無く、自分がとっても楽になる。
この公言のポイントは、ひたすら明るく振る舞うこと。
「アルコール依存症」「アルコール中毒」「アル中」は、インフルエンザのように感染する病気ではないし、酒さえ飲まなければ症状も出ないわけだし、ジメジメと暗くするより、カラッと明るくしていたほうが良い。
「アルコール依存症」とか「アルコール中毒」とか「アル中」口に出した時の、言葉の響きが暗すぎる。これを逆手にとって、明るく公言してしまえってところだ。
この行為は、ある意味自虐的だけど、酒を飲まない為には、結構面白いかも(笑)
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