昨日(2015/10/22)の記事に、よしすけさんから気になるコメントが入っていた。以下、一部抜粋。
「これからの人生、酒無しで果たしてやって行けるのか、不安と恐怖しかありません」
これは正に、私が断酒を決意した日に、どんよりと頭の中に垂れこめた思いそのものだった。丸で、息が詰まるような、もう、人生終わってしまうのではないかと言うくらい大げさに感じた思いだった。
それほどまでに、当時の私の日常生活に酒は深く食い込んでいた。飲むことは、ルーチンワークとして、私の生活に組み込まれていた。365日休みのない、日常業務であった。
酒に支配されている人は皆、やめよう、やめたいな、と断酒の方向性を検討する時、さて、それで生きて行けるのだろうかと、底なし沼のような、不安と恐怖を感じることだろう。
何故と言うに、酒を好きなだけ飲むことによって、生活と精神が安定していたのに、その土台の酒を足場からいきなり外してしまう荒療治を行うからである。極端な話、本当は、薬物(アルコール)を身体に取り入れることによって、ラリッていたのが日常だっただけで、安定していたわけではないのだが。
更に言えば、その不安と恐怖は、酒(アルコール)が仕掛けているものだ。飲酒をやめさせないように、飲酒者を操っているのだ。酒なしではいられないように、いつまでも飲み続けるように、させられているのである。
そのことに気付けば、断酒の不安と恐怖は、実は断酒のための薬なのだと分かる。良薬は口に大いに苦し、なのである。どんなに苦くても、不安と恐怖は断酒の薬として飲み続けるしかない。
断酒に対する不安と恐怖が大きければ大きいほど、逆に酒から早く離れなければならないという、アルコール依存の深刻さを示す、一種のバロメーターでもある。なので、断酒の不安と恐怖は、寧ろ大いに感ずるべきだし、感じて当たり前だし、酒のやめがいがあると言うものだ。
さて、私の断酒当初の不安と恐怖は、その後どうなったのだろうか。一日断酒を積み重ね、時間の経過と共に、それは、安心へと昇華した。安心とは、気にかかることが無く、心が落ち着いているさまを言う。
大体、飲んだくれの飲んだくれぶりは皆似たようなもので、その心理状態も似たようなもののはずなので、酒を断つ時に感じる不安と恐怖も、これまた似たようなものだと、勝手に断定してみると...
これから酒を断とうとしている、或は、断って間もない方は、どうか安心して、そのまま断酒を開始または継続して頂きたい。
何故?どうして?その根拠は?
31年間の飲酒歴を誇る(!?)私が、断酒2年半を経て、今、安心の境地に至ったからである。あのどうしようもない不安と恐怖が、今やどこにも無い。
しかし、いつもこのような内容のことを書いた時には、戒めとして、これも書く。
だからと言って、決して、酒(アルコール)に対して、油断はしていない。
「蟻の一穴天下の破れ」を文字って、「アルの一滴断酒の破れ」になるからである。
(↑↑↑これは、散歩中見かけて、珍しかったので、撮影。大きさは、大きな飴玉くらいか。固い。ネットで調べたら、「オキナワスズメウリ」と言う植物で、熟すと真っ赤になるそうだ。因みに、有毒なので、食べられない。
冒頭の朝顔は、種を蒔いたわけでもないのに、いつの間にか生えてきた。鳥が運んできたのか、何年か前に育てた時の朝顔の種が今頃芽をだしたのか、不明。植物って、不思議だ。)
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