たまに頭に湧いて来る断酒の短歌。
本日は、最近ひしひしと感ずる思いを三首。
「先ず嫌え 飲まなくなれば 占めたもの 気付いてみれば 和する酒かな」
これは、私の断酒のやり方と、その結果を歌に表したもの。私は、飲みたくてたまらぬ酒を飲まない為に、酒を徹底的に悪者にして、大嫌いになる方法を編み出して、実行した。
気付いてみれば、いつの間にか、酒を飲まない生活が当たり前になっていたが、更にオマケとして、酒を忘れ、酒と和していた。「和する」には、忘れると、和するの二つの意味を込めた。つまり、あれだけ嫌っていた酒を、もう嫌いではなく、かと言って好きでもなく、しょう油やごま油や味醂と同じ、調味料程度の位置付けとなった。めでたし、めでたし(笑)
しょう油やごま油をゴクゴク毎日飲む人はいない。
「飲むよりも 飲まぬを選ぶ 生き方は 臨終の時 真価発揮す」
酒を断ってから、自分の残りの人生について良く考えるようになった。例えば、今日のたった今だって、今日の終わりの23時59分59秒まで自分の命があるという保証はない。仮に、人生80年と置いてみたところで、私には、あと20数年しかない。もちろん、そこまで生きているかどうかは、分からない。
誰しも人間ならば迎える臨終の時、はたして飲んだくれをそのまま続けて来たことを良しとするだろうか、後悔するだろうか。
臨死体験の本を読むと、人は臨終の時、これまでの人生をまざまざと大きなスクリーンに投影するように、見せられると言う。その時、飲んだくれて終わった人の人生は、《飲んで、酔って、飲んで、酔って・・・》の繰り返しに過ぎないではないか!
そんな人生で良かったはずがないが、正に臨終の時に、やり直したくたって、それも無理な話なのである。ならば、生きている今、残りの人生の為に、酒をやめてしまおうではないか。
「選びたる 飲まぬ人生 潔し 未練断ち切る 生き様ぞ良し」
自分で選び取った、酒を断って決して飲まない人生は、自分自身だけではなく、周囲の人が見ても、とっても潔くてよろしい。ダラダラと未練たらしく飲み続けるのは、情けなくていかん!
未練を断ち切って、颯爽と生きる生き様こそ、断酒人生の醍醐味である。
断酒当初こそ、飲みたいのに飲めなくてイライラしたり、飲む理由を探してみたり、暫く断つことが出来たら、今度は、節酒出来るんじゃないか、などと考えてみたり、とにかくフワフワと頭の中に酒が浮かんでは消え、フラフラと足元が定まらない。吸い寄せられるように酒売り場や、居酒屋に足が向いてしまったり。
それでも、断酒に踏みとどまって、一日一日、飲まない日を積み重ねて行くと、いつの間にか、未練が無くなっていることに気付く。私の経験では、一年かかった。これは、人によって長短色々だろうな。
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