断酒への取り組みは、単純でも実に厄介である。
人間生きている内には、当然楽しいことばかりではなくて、寧ろイヤなこと、苦しいこと、イライラすること、怒り心頭に達すること、などのほうが多い。
すると、手っ取り早くそれらの感情から逃れる方法として、飲酒を利用してしまうことがある。せっかくやめていても、その即効性及び麻薬的効果の魅力に抗うことが出来なくなる。
クイッと飲むと、薬効成分としてのエタノール(アルコール)が、すぐに脳に回り、大脳を麻痺させ、小難しい悩みを、どこかへ押しやってくれる。
だがこれは、解熱剤と同じ。高熱をあっと言う間に下げてくれる解熱剤だが、薬効が切れれば、また熱は上がる。酒も、服用して薬効(酔い)が現れている間だけは、気分が高揚して、イヤな事を忘れている(ような気がしているだけ)。
私も、これまで何度か再飲酒の危機があった。大抵は、最大級の怒りとイライラの感情に襲われた時だっだ。何とか踏ん張って飲まなかったものの、もし飲んでいたとしてもおかしくない状況だった。
私が再飲酒していないのは、本当にたまたまである。良く、意志が強いとかの評価をして下さる方がいるけれど、決して意志の強弱の問題ではない。強いて言えば、酒になんか飲まれてたまるか!と言う執念を、断酒開始以来ずっと燃やしているのは確かである。
タイトルにしてみた5・7・5。
『何度でも 挑む絶壁 断酒かな』
私は、断酒とは、絶壁を登るようなものだと思っている。垂直の壁を慎重に登る。ちょっと気を緩めれば、真っ逆さまに落ちて、すぐに登り始めの位置に戻ってしまう。では、その絶壁に頂上があるのかと言えば、どんなに登っても、平らな面に出ることはなく、ひたすら登り続けるしかない。
登って、落ちても、また登り始めれば良い。ただそれだけだと思う。
前はどこまでの高さへ登ったか。前に落ちた時は、何がいけなかったか。それを良く吟味して、もう一度登る時の教訓として、さらなる高みを目指せば良いのではなかろうか。
これまで読んで来たアルコール依存症関連の良書には、表現は違うが、言っていることは同じで、次のようなことが書いてあった。
即ち、アルコール依存症の人が断酒した場合、スリップするのは、断酒が安定するまでに組み込まれているステップのようなもので、何度か再飲酒を経て、段々と落ち着いて来るのである。
そんなわけで、何度でも断酒と言う絶壁に挑んで、みんなで一緒に登り続けてみよう!
(今日は、秩父へ歩きに行って来た。約10km歩いた。冒頭の写真は、秩父駅の上空に出ていた、雲の十字架。たぶん、飛行機雲かな。2枚目は、柚子。とっても綺麗だった。3枚目は、銀杏の黄葉。他の木はまだ紅葉には早かった。)
Happy!《読者通信》に、なよくんさんから、待望のハリセンボンの写真が届きました!
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