飲んだくれの日々が、ずっと続く・・・わけがない!
いつまでもあると思うな親とカネ。これをちょっと変えて、
いつまでもあると思うな息と酒。
息=命。つまり、この(健康な)命がいつまでもずっと続き、かつ酒が飲める状態が、今後もずっと続くわけじゃない、と言うことだ。
もっと格好良い表現であれば、「メメント・モリ」。
死を記憶せよ。とか、自分はいつか必ず死ぬ存在であることを忘れるな、とか。そんな意味のラテン語だそうだ。
私の場合は、酒を断ってから、自分に与えられた時間の有限であることを、ひしひしと感じるようになった。
基本的に、酔っ払うと、考えない。
(逆に言えば、考えたくないから、飲んで酔っ払う。)
酔っ払いがものを考えないのは、アルコールが、論理的思考を司る大脳を麻痺させるのだから、当たり前のこと。飲むことにより得られる即物的な快感は、それを日々繰り返すようになることで、人間を堕落させる。
今、自分が生きていること。これは本当は奇跡的なことなのだが、これに気付いている人と、そうでない人がいる。たぶん、何の疑問も抱かずに、当たり前に毎日酒を飲んでいる人は、自分の命のことなど、何も考えてはいまい。
このことが良く分かる、酒によるバカバカしくも滑稽な事件が、またまた起きた。
酔っ払いが、昨日(2015年11月11日)19時15分ごろ、JR東海道線の品川-川崎駅間に停車中の電車から線路に降りて、車掌室へ石ころを投げつけて「開けろこの野郎!」とわめいたそうだ。
この酔っ払いは、57歳のおっさんだ。57年も生きて来て、貴重な命と時間を酒に費やして、こんなことしか出来ないの?
このおっさんは、警察でキツイお灸を据えられて、「酔っ払ってました。私が悪うございました。」と、酒が抜けた素面の頭で大反省をして、釈放となるのだろうが、恐らく酒はやめないだろう。
いつまでもこの命が続き、いつまでも酒が飲めると思っているはず。
一方、自らの意志で酒を断ち、断酒の苦しみを味わっている人は、日々、「メメント・モリ」を意識している。
飲んで酔っ払っている場合じゃない!自分の人生を自分できちんと生きなければ!
今、断酒で苦しんでいる人は、きちんと自分の人生を味わっている。飲んだくれを続けている人とは一線を画す生活をしていることを、誇りに思って、今しばらく苦闘を続ければ、やがて必ず平穏な日々が訪れる。
(このアニメーションは、依存症の怖さをとてもシンプルに、でも良く分かるように表現している。Twitterで流れていて、知ったので、皆さんにもご紹介。)
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