今日読んでいた本に、《認知的不協和》について書かれていた。
アルコール依存症とか心理学の本ではなく、最近興味が湧いて良く読んでいる臨死体験に関する本なので、書名は割愛させて頂く。
《認知的不協和》は、wikipediaにも書かれているが、イソップ物語の「酸っぱい葡萄」が一番分かりやすいそうだ。
キツネが、たわわに実ったうまそうな葡萄を見つけて食べようと何度もジャンプするのだが、届かない。で、キツネは、怒って「どうせ、酸っぱくてまずい葡萄に違いない。食べてなんかやらないから!」と捨て台詞を吐いて、そこを去る。
wikipediaの《認知的不協和》の説明を拝借し、喫煙で例えている部分を、飲酒に置き換えてみた。以下、表とその下の説明は、特定文字の置換以外は、私の文章ではなく、wikipediaの文章である。
のんべーが過飲酒の問題点(認知2)を認識する | ||
認知1 | 私、のんべーAは過飲酒している | |
認知2 | 過飲酒はアルコール依存症である |
このとき、認知1と認知2は矛盾する。「アルコール依存症である」(認知2)ことを知りながら、「過飲酒している」(認知1)という行為のため、のんべーAは自分自身に矛盾を感じる。そのためのんべーAは、認知1と認知2の矛盾を解消しようとする。
自分の行動(認知1)の変更 | ||
認知3(認知1の変更) | 私、のんべーAは断酒する | |
認知2 | 過飲酒はアルコール依存症である |
一番論理的なのは認知1を変更することだ。「過飲酒」(認知1)を「断酒」(認知3)に変更すれば、「過飲酒はアルコール依存症である」(認知2)と全く矛盾しない。
これが小さなことならば、自分の行動を修正または変更することで足りる(例えば、漢字を間違って覚えていたならば、正しい漢字を覚えなおせばよい)。しかし、過飲酒の多くはアルコールに依存する傾向が強いため、断酒行為は苦痛を伴う。したがって、「過飲酒」(認知1)から「断酒」(認知3)へ行動を修正することは多大な困難が伴い、結局は「断酒」できない人も多い。その場合は、認知2に修正を加える必要が生じてくる。
新たな認知(認知4または認知5)の追加 | |||||
認知1 | 私、のんべーAは過飲酒している | ||||
認知2 | 過飲酒はアルコール依存症である | ||||
認知4 | 酒は百薬の長と言われる | 認知5 | 交通事故で死亡する確率の方が高い |
「酒は百薬の長と言われる」(認知4)を加えれば、「過飲酒する」(認知1)と「アルコール依存症である」(認知2)との間の矛盾を弱めることができる。そして「交通事故で死亡する確率の方が高い」(認知5)をつけ加えれば、アルコール依存症で死亡することへの恐怖をさらに低減することができる。
以上、wikipediaの《認知的不協和》から借りた文章で、過飲酒とアルコール依存症に置き換えて、やめられない過飲酒に関しての説明を図ってみた。
過飲酒・問題飲酒に関して《認知的不協和》によって、問題となる行動にはふたつある。
ひとつは、自分の飲酒が問題であることを心の奥底で認識しつつも、これ(認知的不協和)によって、やめることなく飲み続けること。
もうひとつは、一旦は断酒に踏み切って、ある期間飲まないでいることが出来たのに、これ(認知的不協和)によって、再飲酒してしまうこと。
こう言う考え方も、断酒する時の参考になる、と、酒をやめて読書三昧の私は、いつも素面(シラフ)でいることに感謝した。
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