最近、街を歩いていると、急に煙くなることがある。
ん?と、視線を向ければ、柵で区切られた一画から、もうもうと紫煙が漂い、狭い喫煙スペースは、いつも満員状態だ。
吸わずにゃおれぬ人々が、いそいそと檻の中へ入って行き、ひょいとタバコを取り出して、カチッとライターを灯し、タバコの先端に...ふ~っと、やっと落ち着いたような顔をする。
タバコを断って10年目になると、タバコに囚われてニコチン中毒になっている人たちがとても気の毒に見える。
さて、その檻のような喫煙所、どこかで見た光景に似ているな~、何だっけな~、と・・・あ~、これは、飲んだくれの頃の自分だ。その日の仕事が終わり、帰路、もう飲みたくて飲みたくてソワソワしているわけで。
待ち切れぬ時は、コンビニで缶のビールか酎ハイを買って、お金を払うのももどかしく、そそくさと店外へ。プルタブをプシュッ!で、ゴクゴクして、胃の腑に液体が落ちて行くと、ふ~っと、落ち着くわけだ。
これ、自ら望んで過飲酒・問題飲酒の檻に入っていたわけで、それが進むと、そのアルコールで囲われた檻から出られないことになる。自分がその檻の中にいることに気付く人は、断酒という道に進むが、気付かない人は、アルコール依存症で一生を終わる。
そんな私が酒を断って、どのくらいの期間が過ぎた頃だろうか、ちょうどニコチン中毒の人が気の毒に見えるのと同じように、酒に囚われ、飲まずにはいられない人を見かけると、やはりとても気の毒に思うようになった。
ニコチンやアルコールに囚われ、支配されてしまう生活は、恐ろしい。ある特定の薬物を毎日身体に入れずにはいられないと言うことだから。そして、起きている間の人間としての行動が、その薬物にかなり影響されるわけで。
先ず起きて、タバコを探してソワソワ。一服して、ふぅ~っ!でも、前夜の深酒で、頭がズキズキ。通勤電車でオエーッとなりそうなのを堪えて・・・日中は喫煙スペースを探したり、歩きタバコをしたり・・・夕暮れ時、アルコールを渇望してソワソワ・・・飲み過ぎて帰宅、或は帰宅してから飲み過ぎる。
私は、街角でタバコの自販機を見て、タバコを嗤い、コンビニやスーパーの陳列棚の酒を見て嗤う。笑う、のではなくて、嗤うのだ。
ふっふっふ...売ってるね~。オレは、買わないよ!用がないからね。
と、颯爽と足取り軽くタバコや酒を横目に通り過ぎる快感。
最近酒を断った人でも、これが、快感になる日が、きっと来ると思う。演技でいいから、酒を見て、思い切り嗤って見たら如何だろうか。いきなり、快感を覚えるかもしれない。
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