昨日の「老害×酒害」の続き。
老いとは、いつからを言うのか、老後とは、いつからなのか、具体的に何歳から、と決まっているものでもないが、強いて言えば60歳とか65歳からになるのか。
年齢を重ねるうちに飲む量が減り、穏やかになる飲酒もあると聞く。一方で、会社員や公務員などの勤め人だった人の中には、定年退職を境に生活環境が一変する中で、時間を持て余し、酒浸りになり、ほんの数か月でアルコール依存症になる人もいる。
適度でない飲酒は、陋習であり、それは老醜につながり、更に老臭を増す。陋習とは、いやしい習慣、悪い習慣のこと。
陋習老醜老臭・・ろうしゅうろうしゅうろうしゅう・・・老酒ぅ[ロウシュウ](←らおちゅうではない!)
特筆すべきは、とても綺麗な飲み方をしている老人も多いこと。かなり以前に書いたことだが、私がいつも野菜を買いにいく農家のご主人は、毎晩焼酎のお湯割りを2杯飲むことを習慣にしているそうだ。これで満足し、ぐっすり眠ることが出来ると。
逆に、酒を飲むことだけが人生の楽しみになっている老人もいる。これは、切ない。人生はとても短い。本当は酔っている暇などない。しっかりと目を見開いて、素面で人生と対峙しなければならない時もある。
だが、一度目を逸らし、酒に逃げることを覚えてしまうと、ずっと逃げ続けるようになる。酒が人生の避難所になってしまうのである。
『老いて尚 飲む人生の 切なさよ』(おいてなお のむじんせいの せつなさよ)
酒の現れるシーンが、生活の中のほんの一部分であれば何の問題も無い。 が、生きて呼吸している時間の大部分を酒に支配されているような老後は、想像するだに恐ろしい。
『今断てば 老いて酒害の 憂いなし』(いまたてば おいてしゅがいの うれいなし)
老いてからではたぶん遅い。
いつも主張しているが、五十路突入あたりで、思い切って酒を断ってしまうのが、残りの人生を爽やかに過ごす秘訣だ。
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