葉隠れの、
「武士道とは死ぬこととみつけたり」
は、あまりにも有名な言葉。
どういう意味か、ここでは敢えて書かないが、ネットで検索すれば、色んな方の解説が見つかる。
タイトルの、
「断酒とは生きることとみつけたり」
とは、酒断ちの真の姿である。ここでは、私の考えを述べよう。
長年飲んでいる内に、いつのまにか酒に飲まれている自分にハタと気付き、このまま飲み続けるのは良くないと感ずる。
そこで、今の飲み方、つまり飲酒の頻度と量がいけないのであれば、休肝日を設け、かつ、量も減らせば、ずっと酒と付き合っていけそうな予感・・・が、そうは問屋が卸さない。
何故ならば、元々そんな飲み方が出来る人は、端からそうしているのであって、そう出来ない人が、そうしようとしても、出来るわけがないのである(笑)のんべーは、ここのところに中々気付かずに、無駄な努力を試みるのだ。
酒を飲むと酔う。ほろ酔い程度なら、まだ素の自分だろうが、それを越えて酩酊の領域に入ると、もはや正体を失う。酔態を演じ、醜態を晒し、悪態をつく自分は、一体誰なのだろうか。
私にも経験があるが、泥酔状態のときの自分の言動は、一切覚えていない。醒めて二日酔いで苦しむ頃、つまり翌日の昼間、前夜のことを一緒に飲んでいた人や、家族に聞いてみると、全く穴があったら入りたいほどの、生き恥を晒していたのである。
酒を飲んで酔っ払っている時間は、自分の人生を生きているとは、とても言えない。自分の人生をしっかりと生きたい。
だから、
「断酒とは生きることとみつけたり」
なのである。
ここでの生きること、とは、自分の人生を主体的に生きること。
酒を断つ真の動機は、自分の人生をきちんと生きたいからである。飲み続けていたのでは、酒に支配された人生で終わってしまう。
たった一度の貴重な人生を、アルコールと共に生きるのか、アルコールと訣別して生きるのか、選ぶのは自分。
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