酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

飲んだくれの真実(断酒3年100日目)

 私は、今現在(2016/6/22)、酒監獄の囚人から開放されてから3年4ヶ月目だ。

 

 酒を《飲む》とか《飲まない》とか《飲みたい》とか《飲みたくない》の前の、もっと根本にあること、これについて、最近考えている。

 

 酒を飲んでいる人の中で、やめられない人たちは、自分では飲んでいる積もりかもしれないが、実は、飲まされているのだ。

 

 タバコも然り。喫煙している人たちは、自分でタバコを吸っている積もりかもしれないが、実は吸わされているのだ。

 

 一体全体、何を言ってるんだ?意味が分からないぞ!

 

 簡単に表現すれば、それ(酒やタバコ)なくしては、自分の日常生活が成り立たないような、依存性を持つ商品を広めて、どっぷりと浸からせる戦略に、私たちはしてやられているのである。

 

 誰がそんなことをしているんだ!?...については、書かない。想像して頂きたい。

 

 酒は、最初は自分で飲むのだが、ある時点から飲まされている。《飲む》と《飲まされる》は、全く違う。ここで、あなたが酒を自らの意思で飲んでいるのか、自分以外の誰かに飲まされているのか判定してみよう。次のたったひとつのことが出来るかどうかで、それは分かる。

 

 ☆明日から丸3日間、一滴も酒を飲まない。

 

 どうだろうか。これを平然と出来る人は、自らの意思で酒を飲んでいる人なので、断酒とは無縁である。「え!えぇ~ッ!無理!」と、実行する前から動揺しているようならば、もはや自分の意思とは無関係に酒を飲まされているのだ。

 

 酒がどこにでもあるから、飲みたくなる。このジャンキーな飲みものが、どこでも簡単に買えるような仕組みになっていること自体を、私たちは疑ってかからなければならない。

 

 酒ならば、飲まざるを得ない人々、タバコならば、吸わざるを得ない人々。これらの人々は、それらのジャンキーに仕立てられ、生きている間利益をもたらしてくれる、リピーターとして期待されているのだ。

 

 特に酒。

 

 一度その味と酔いの感覚を覚えれば、何度でも経験したくなり、酒なしでは居られなくなる。そうなったら、なかなかやめられない。飲んでいるのではなく、飲まされていることに気付くことが、断酒への一歩である。

 

 『楽しみに 飲んでたはずの 酒なれど 今となりては やめる能わず』

 (たのしみに のんでたはずの さけなれど いまとなりては やめるあたわず) 

 

 『やめたくも つい手が伸びて グイと飲む 制御不能の 恐ろしき罠』

 (やめたくも ついてがのびて ぐいとのむ せいぎょふのうの おそろしきわな) 

 

 『飲んで吐き 吐きながら飲む おぞましさ 飲みたくもなし 酔いたくもなし』

 (のんではき はきながらのむ おぞましさ のみたくもなし よいたくもなし) 

 

 

 

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断酒・断酒・断酒!!
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