酒を飲みたい人は、酔いたいのである。
酒を飲む目的は、酔うことである。
もし、飲んでも酔わないなら、飲まないだろう。
この、身体が脳が《酔う》現象、これ自体が、私は嫌いになった。酒を嫌いになって、酒に《酔う》ことそのものが嫌になった。酔っ払い時代の記憶を手繰ると、背筋がゾクゾクゾワゾワする。酔った自分は、誰だったのか。
1年4か月前(2015/2/27)、下記の記事を書いた。
『飲みたくない酔いたくない(断酒1年350日目)』
この時の記事では、酔うと貴重な時間が失われてしまうので、飲みたくない、と主張していた。
今日のタイトルは、似ているけれど、順番が違う。酔いたくない、が先で、飲みたくないが、後。酔っ払うと、それだけで時間が過ぎてしまうけれど、それよりも、今では「酒に酔う」ことを毛嫌いしている。
私は、悪臭をまき散らす喫煙者も避けるし、アルコール臭を放つ酔っ払いも、見つけ次第物理的に距離を置く。接触したくない、関わりたくない。飲み会への出席も、どうしても義理で出なければならない、年に数回の催しだけだ。
今現在、断ってはいるものの、まだまだ酒に未練があって、心が揺れている方もいらっしゃることだろう。梅雨が明ければ、炭酸系のアルコール飲料がデカイ顔をしてまかり通る。さて、自分はこの夏を越えられるだろうか、と不安な方もおられるだろう。
ここは、何としても踏ん張って、ひと夏を断酒で越してみてほしい。秋風が吹く頃に、《あの真夏の時期を、一滴のアルコールも飲まずに越えた!》自信がみなぎって、そのまま年末まで突っ走り、爽やかな年明けを迎えられるはずだ。これは、私が自ら経験したこと。
「酔いたくない飲みたくない」と、おまじないのようにブツブツ呟いても良い。嘘でも毎日自分に言い聞かせていれば、真になるものだ。
一体酒に何を求めているのか、自問自答してみると、馬鹿馬鹿しくって飲んでいられなくなるかもしれない。酒に何を求めても、酒が与えてくれるのは、泥酔と二日酔いと身体の故障くらいのものなのだから。
酔いは、一時的な気の迷いに過ぎない。それを証拠に、酔った時の感情は永続しないではないか。酔うためには、酒を飲まねばならない。
一日断酒と酒害の学びを淡々と繰り返して行くうちに、時が味方になって、
「酔いたい飲みたい・・・」が、
「酔いたくない飲みたくない!」に、変わる日がきっと来る。
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