つい2日前(2016/7/10)の19時半頃、六本木で、泥酔した41歳の男が、面識のない21歳の女性を暴行し、逮捕された。
この男、地下鉄の階段を上って来た女性の顔をいきなり殴り、膝蹴りし、昏倒したところを更に蹴ったのだそうだ。女性は、顎、眼下など顔の複数の骨を折られ重傷。
この男は、事件当時、泥酔状態。取り調べに対して、「女性にけがをさせたことは覚えていない」と、容疑を否認している。これが、飲んだくれて泥酔し、事件を起こした人間の常套文句だ。
「覚えていない」「記憶にない」
これについては、2年前の4月(2014/4/5)に書いた、
『忘れる前に覚えてない!?(断酒1年22日目)』の中で次のような記述で説明している。
「脳の記憶や学習に関わる海馬という部分は、エタノールによって、徐々に正しく機能しなくなり、その濃度が高い(つまり酔いが深い)ほど、書き込みがされなくなるという。」
自分の脳の海馬君が、本来の仕事をしていないのだ。アルコールによって、海馬としての機能を阻害されている。そもそも泥酔したら、情報が記憶されていないのだから、覚えているわけがないし、思い出すはずもないのである。
では、泥酔した時は一体誰が自分なのだろうか。誰が自分を動かしているのだろうか。この辺り、考えてみると、とても恐ろしい。
酔態は人によって実に様々で、私のようにどこでも寝てしまう人もいる、泣き上戸もいる、しつこく説教をするやつもいる、怒りまくる人もいる、この事件のように凶暴化する人もいる。
私のように寝てしまう人は、被害者にはなっても、加害者にはならないが、凶暴化する人は、逆に加害者にはなっても、被害者にはならないだろう。
こんな事件を報道で目にすると、その泥酔の根本的原因である、酒と称する恐ろしい飲み物を断ち、飲まない生活をしている自分を、心の底から素晴らしいと思う。こと、自らの意志で始め、継続している断酒なら、大いに自画自賛するべし。
もし、辛いと感じたら、断っているのは、自分にとって恐ろしい飲み物(=酒)であることを思い起こしてほしい。そんな飲み物(=酒)にじりじりと恋焦がれるよりは、心の中でスッパリと縁を切ってしまった方が良い。
自分が酒を断っても、飲んだくれ泥酔人間の暴力に遭う可能性はある。外を歩く時、電車の中、駅の雑踏など、常に注意して、挙動不審な人物には近付かないことだ。危険人物は、もちろん、酒に酔った人間ばかりではないが。
大前提として、先ず自分が素面であること。その上で、周囲に十分注意して行動するより他はない。
冒頭の事件に戻るが、何の関係も無い《泥酔オオバカヤロウ》にこんな酷い目に遭わされた被害者の女性は、とても気の毒だ。早い快復を心から願う。
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