酒を抜いてから3日もすれば、身体の中からはすっかりアルコール分も抜けている。
それなのに、その頃から強烈に襲われる、アルコールへの飢餓感は、一体何なのだろうか。これは、アルコールが身体から物理的に抜けても、心が囚われたままだから、飲まない自分に対して思いきることが出来ないのだ。
この、後ろ髪を引かれるような思いが、ずっと続くような気がして、最初の数か月はぞっとするし、かなり苦しい。
あの頃のブログを読み返すと、飲まないでいるために、本当は飲みたくてたまらない酒の害悪を、徹底的に調べては、書いていた。数え上げたら切りがないほど、多いこと多いこと。酒は害悪のデパートであった。
個人的にも、国家レベルでも、酒害の損害額は甚大である。お金で済む話ばかりではない。自分や他人の身体が傷つき、命さえ奪われてしまう。この辺りを、毎日しっかりと学んで、時を待つ。
少なくとも1年以上の時が経ち、酒に囚われた心が解放されると、あれだけ飲みたかった気持ちが、かなり薄まっていることに気付く。ストレスを感じても、暑さを感じても、酒に結びつかない。濃かった塩水が真水に近付いている。
酒に囚われた心の解放は、3年5か月目を迎えた今日も進んでいる。
ただ、十分に気を付けなければならないのが、慢心することだ。例えば、飲酒欲求とは違う気持ちで、ビールの試飲などを見かけると「少量なら大丈夫なんじゃないか?」と、小悪魔が囁く時がある。
大丈夫なわけがない!少量を飲めば、もっと飲むに違いない!
アル中は、酒をやめていてもアル中であって、酒に囚われた心の完全なる解放は、たぶん出来ないのだろう。この辺り、明らめて諦める必要がある。
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