以前、アル中には2種類の人間しかいなくて、飲み続けるアル中と、やめたアル中がいるだけ、と書いたことがある。
とてもシンプルだが、本当にこれだけの区分けでしかない。が、レッテルは同じアル中でも、前者と後者では、その生活、考え方、行動様式は全く違う。
飲まないアル中でも、飲んだらすぐに飲み続けるアル中の仲間入り。
他の習い事ならば、日々稽古を続け、師匠に認めてもらえば、免許皆伝となる。もちろん更に上を目指して、日々の稽古は続く。
しかし、断酒には完成形は無く、終わりもない。これだけやったから、断酒を極めた、とか、免許皆伝だとか、そんなこともない。日々、断酒の練習をしているのだ。断酒の練習はたまた稽古の終わりは、人生の終焉と同期している。
何百人、何千人の断酒仲間がいるとして、その違いは、断酒している期間が、短いか長いか、それだけである。長い人がエライとか、短い人はまだまだだとか、そんなことは一切ない。初日の人も、10年の人も、同列だ。
日々が断酒の練習であることには変わりがないのだ。なので、例えば私の3年半弱継続している断酒にしたって、ちょっと先を歩いているだけ。一度コケれば、すぐに追いつき追い越される。
先を歩いている者として、後から来る人に、自分の経験からのアドバイスを送ることは出来る。私は、ブログで発信しているし、コメント欄に経験に基づいたメッセージを書いて、後から来る人を励まし、応援して下さる方の存在も、とても頼りになる。
どうも、自分の飲酒はヘンだぞ・・・と気付いて、これは酒を断つほうがいいかもしれないな、と一歩踏み出すところまで来ているならば、一緒に断酒の練習をしてみるのも、乙なものかもしれない。
一生飲めない、とか、構えずに。まとわりついている酒に囚われすぎると、己を見失う。先ず、やめてみる練習をしてみようか、と。
何だか最近、あの山本五十六の名言が、断酒にも有効だと感じている。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』
断酒も1年を越えて来ると、かなり安定してくる。この辺りから、「やってみせ」かなぁ。そして、後から来る人に「言って聞かせて」をしたくなり、聞いてくれるなら「させてみせ」たくなる。で、やり始めたよ!なんて言葉を聞けば、「ほめてやらねば」と、心が動き・・・などしている内に、「人は動かじ」ではなく、益々良い方向へと動いてくれるような。
さあ、今日も、断酒の練習を一緒にやってみよう!
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