使われるか、使うか。
今ではあまり使われない言葉だが、《召し使い》は、主人の下で、雑用をこなす、奉公人だ。主人の命令は絶対である。
飲まずにはいられない日常は、酒に使われる召し使いのようなものだ。酒が主人で、自分は奉公人。「飲みたいなら飲め!」この主人の命令は、待ってました!だったかも。「はいはいはーい!」ととっても素直に命令に従っていたものネ。
断酒生活が板に付いてくると、これが逆転する。主客転倒か、主従逆転か。私は当て字の《酒客転倒》が一番合っているような気がするが、酒を従えるのは、中々おもしろい。主人は自分で、酒が召し使いとなるのだ。
我が家の中で、唯一飲む人間だった私のみすけが、酒を断って3年半。
今でも、我が家には、酒が置いてあり、日々減っている。置いてある酒は、日本酒。ワイン、紹興酒も追加したいと思いつつ、あまり出番が無いので、まだ購入していない。以前ワインがあったが、あまり使わないので、人にあげてしまった。
何だと〜!!酒が減っているってことは、誰かが飲んでるのか!?…と早合点召されるな。
何度かブログにも書いてきているが、我が家の酒は、調味料として活躍しているのである。なので、日本酒だと、1.8Lの紙パックのもので、3〜4ヶ月は持つ。これは、驚くべき消費量であって、断酒前は、2~3日でカラッポのことが多かったのだ。
飲んだくれていた頃は、酒にこの身を使われていたが、今では、酒を調味料として使っているのだ。酒に使われるのか、酒を使うのか。正に、これが断酒生活の肝である。
このことを端的に表現した禅僧の言葉を、2年前のブログで、紹介している。リンクを貼っておいたので、興味ある方は、どうぞ。
2014/11/6
『迷う我悟る我(断酒1年237日目)』
リンク先を見るのが面倒な方の為に、その言葉をここにも書いておこう。
「迷いてはこの身に使われ、悟りてはこの身を使う」(至道無難禅師)
酒に迷っていた頃は、飲みたいと言う欲求にいつも屈してガブガブ好きなだけ飲んでいたのだが、断酒を思い立ってより、飲みたさを我慢し、欲求を抑えつけ、紛らわし、3年半。今では、酒に関しては、この身を使えるようになった。
私は酒の存在そのものを否定しているのではない。酒は厳然と存在している。問題は、飲む側にある。それを飲んでも良い人と、飲んではいけない人がいて、それが守られるかどうかが、酒についての一番の課題だ。
私は飲んではいけない人間だったが、30年以上飲んでいて、そのことに気づくのが遅すぎた。どうか、これを読んで下さる方で、飲酒に問題を抱えている方は、自分が酒を飲んではいけない人間であることに、早く気付いてほしい。
酒を召し使いにして、こき使ってやるのが、一番よろしい。
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