ここのところ、コメント欄が、私にとってとても良い勉強になっている。
酒を断ったけれども、果たして自分には酒を断つ必然性があったのだろうか。飲みたい気持ちが、心の奥底に潜む飲酒の小悪魔が、囁くのだろう。「飲んで試してみるってのもありだよ!」
でも、ここで踏みとどまって、ひとつ深呼吸をしてから、よぉーーーーく考えてみると...
断酒の条件として、アルコール依存症(アルコール使用障害)だから、と言うのはありだが、そうでなければ、断酒しなくて良いのだろうか。
※《アルコール依存症(アルコール使用障害)》は長いので、以降《アル症》を使用。
(ブログ投稿1発目は《アル中》にしていたのだが、病名的には《アル症》かなと考えなおし、後者を採用。《アル中》=《アル症》と言うことで!)
医師に診断されようとされまいと、つまり、アル症であろうとなかろうと、飲酒に問題があることに気付き、断酒を志したならば、それが正解であって、条件は不要である。これが私の考え方。
因みに、私は、酒を断つ前も断った後も、病院へは行ってないので、アル症であるとの医師の確定診断を受けたわけではない。自分でそう判断しただけである。もしも私が医師の診断を受けて、アル症ではなかったとしても、私は断酒をしていた。何故ならば、断酒を志すきっかけの事件で、これ以上飲み続けたら、人生が破綻してしまうことが分かったから。
癌でさえ誤診がまかり通る世の中である。況してや、アル症では問診が基本であり、組織を取って調べる生検で見つけるわけではない。血液検査で確定するわけでもない。こと、断酒に関しては、自らの酒を断たねばならないと言う思いが、一番の拠り所である。
ここのところのコメント欄でのやり取りで私が危惧しているのは、アル症であれば、断酒して、そうでなければ、断酒の必要が無いようにも受け取れる点についてである。
そもそも、酒を断とうと考えたきっかけは何だったのか、その原点をもう一度思い出してみると・・・飲めば、再びの泥沼にはまることは、100%確実である。私がこれまで3年半に渡って見聞し、学んできた中で、飲酒に問題がある人がある期間の断酒後に再飲酒して、適正飲酒者になったなどと言う事例は、一つも無かった。
医師は、学んだ知識と自分の診療の経験から、患者がアル症であるかどうか診断する。その基になるのは、患者(とその家族)からの問診である。
自分の問題飲酒について一番知っているのは、医師でもなく、家族でもなく、自分自身なのだ。その自分自身が、断酒したほうが良いと判断したのならば、医師のアル症であるとの確定診断など、必要ない。
ただ、淡々と断酒するしかない。
そこに、むくむくとかま首をもたげて来る、アル症でないのなら、「ひょっとして、飲んでも大丈夫かな?」の感情は、先日書いた、
2016/9/18
『ひょっとして治ったのかも??(断酒3年188日目)』
と全く同じことで、酒への未練がそう思わせ、飲酒へと誘っているのだ。
再度書くが、断酒には、理論武装が必要である。
ここからは、とても強い飲酒欲求に悩まされている女将さんへ。
私も、NoSakeさんと同じ意見で、女将さんの場合は、どうも、アル症よりも、強迫性障害(強迫神経症)が疑われるような気がしてます。自分の意に反して、不快な考えや観念が浮かんできて、抑えようとしても、抑えられない。その不快な考えが、たまたま飲酒なのではないかと・・・
私は医師でもないし医療関係者でもないので、これ以上の言及は出来ませんが。。。
何とか女将さんが良い方向へと進み、心の底からの笑顔を取り戻すことを祈っています。断酒仲間からの温かいコメントが、力になりますように。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)