Twitterでやり取りしているツグミさんのtweetでハッとして、本日のタイトルに。
ヤッパリ寒くなってくると感傷的になる。帰りに飲み屋を通り過ぎ、
— ツグミ (@sobrietyworld) 2016年10月22日
もういい感じで語る事は無いんだと思って、悲しいんだか何だか複雑な気持ちでした!思い出は美化されるから本当は酔っ払って同じ話し何回もしてるだけだと思うけど😅
飲んだくれ時代の良き思い出は美化されている。一方、悲惨な思い出は、風化しているのではないだろうか。
tweet本文にある、「本当は酔っ払って同じ話し何回もしてるだけ」なのも、当たっている。これは、素面の自分がたまに飲み会に出て、酔っ払いを観察していると良く分かるのだ。彼等が実りある会話をしているとは思えない。それはつまり、過去の自分も同じであったと言うこと。
昨夜は大いに飲み大いに語り合った(?)な〜と、二日酔いで吐き気と頭痛の状態で、一所懸命思い出してみても、さて、あんなに長い時間何を話していたのか、さっぱり記憶にない。なんてことばかりだった。
一大決心して酒を断って、清々しい日々を送っているはずなのに・・・
けれども、心の中で酒を追い求める心はこんなことを懐かしむ・・・
一緒に飲んで色んなこと話して楽しかったな~
酒飲むと腹を割って何でも話せたな~
季節の料理をつつきながら飲む酒はうまかったな~
未練たらたらの断酒なら、「もう、あの楽しい酒の世界は、思い出になってしまったのか。もう一度は無いのか・・・」との思いが何度も何度も脳裏を掠めるのではないだろうか。
そして、飲む理由を探すために、過去の美化された思い出を手繰り寄せ、ひょっとして、飲まないでいることは、自分にとってデメリットなのではないかと、屁理屈をこねたりする。
それはもちろん、飲酒にだって良い思い出があったに違いない。けれども、思い出すのも辛い悪い思い出が、今の断酒のきっかけになっているわけであり、今更良き飲酒の思い出に浸っても、無意味なのだ。
未練を断ち切って、酒そのものから遠く離れて生きて行くのが一番良い。
さてと、本文は短くこの辺りまでにして、昨日の続きのバラをどうぞ!
(桃香)
(インカ)
(プリンセス・ミチコ)
(プリンセス・オブ・ウェールズ)
(ブルー・リバー)
(熱情)
(万葉)
(緑光)
(ソニア)
(カトリーヌ・ドヌーブ)
(ゴールデン・メダイヨン)
バラはまだまだあるので、明日のお楽しみに!
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