最近、釣り魚の料理の動画をyoutubeで観ることが多い。
この手の動画には、必ず酒が出て来る。ビールだったり、日本酒だったり。
今日も、ある動画を観ていたら、
「この魚の、この料理には、日本酒の○○!(トクトクトクと注ぐ音)ん~!うまい!」
な~んて、やっていた。
今の私は、こんなシーンを見ても、大丈夫だ。もちろん、味は思い出すし、ちょっぴり飲みたい気分になることもあるが、心の中でエタノールがむき出しになったイメージが広がり、オエーッとなるので、そこで、飲みたい気分は打ち止め!
でも、やめて間もない人は、中々そうはならないだろう。
あなたは飲んでいたけどやめた人。でも飲みたい人。
コンビニやスーパーで陳列されている、かつて常飲していたものが目に飛び込んで、ついつい手が伸びてしまうこともあるだろう。(私は、何度もあった!)
「いかんいかん!何故いかん?自分がこいつをやめた理由は、カクカクシカジカではないか!」
こんな風に飲んだくれの自分の心の動きを、第三者の視線で観察して、抑制してくれるもう一人の自分があなたの心にも存在するはずだ。
人間の心は、強かったり弱かったりで、安定しない。いつも一定の状態で落ち着いていられる人は、かなりの精神的修養を積んだ宗教家や、ヨガの行者くらいじゃないかな。私など、吹いてきたそよ風にさえ、なびいてしまいそうな時もある。
そんな時でも、こと決めた断酒に関しては、ポーンッと自分を突き放して、第三者の冷静な視線で自分の心を観察することが必要だ。
何しろ、手ごわい敵がもう一人(一匹?)心に住み着いているわけだから。そう、飲酒をそそのかす小悪魔くんね。
「飲んじゃえば、いいよ。疲れたときや嫌なことがあったときは、少しくらい飲んだほうがいいんだよ!」な~んて、言葉がどこからともなく聞こえて来る。
だめだよ!って冷静な自分と、飲んじゃえ!とそそのかす小悪魔君に、左手と右手を引っ張られ、右往左往している弱い自分に気づいたなら、小悪魔くんの手は振りほどいて、一日断酒を選ぼう。
自分を突き放す、第三者の視線は、断酒には強力な武器になる。
飲みたくなったら、飲みたい自分と、だめだよって抑制する自分とで、会話をしてみると、効き目がある。飲みたい自分は感情的になっており、それを抑制しようとする自分は理性的なわけで、心理的葛藤がここで起きる。
大抵は、理性的な自分のほうが感情的な自分を抑えることが出来るはずだ。
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