酔生夢死(すいせいむし)
この四字熟語をご存じだろうか・
私は知らなかった。どこで知ったかと言えば、尊敬する作家・丸山健二先生のtweetからである。
いつしか国家的理念は点ヘと縮小し、真理の片鱗さえも含まれていない、上辺のみの文明に幻惑された死せる現実が野放図に容認され、鍛えなければならない自我はいつしか硬化し、気高い人間性に対して心を石にし、恥ずべき精神的な落ちこぼれとなっても、ただ酔生夢死しか望まない風潮が蔓延っている。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2016年10月31日
直接酒に関わる内容のtweetではないが、ちょっとドキリとする。
酔生夢死の意味は、酒に酔っているように、ふらふらと生き、夢を見ているだけのように、何もしないで死んでゆくこと。つまり、何もせず、気付いたら人生が終わっていたってこと。
酒に溺れた人生は、正に酔生夢死か。字義通り、酔いに生き、夢を見たまま死んでゆく。
嬉しい時よりも、何か嫌なことがあった時に大量に飲むことが多かった。酔っている時は心が楽になり、壮大な夢が頭の中に広がり、何でもどんと来い!自分は何でもできるんだ!あれもこれも解決し、あれもこれも進展し、全てがうまく行くぞ!と、こんな調子の何の根拠も無い、夢のオンパレードだった。が、醒めてみれば、酷い二日酔いで、夢のかけらさえ残っていなかった。
酒を最初から飲んでいなかったとしても、途中で断酒したとしても、酔生夢死の人生の人は多いだろう。酒を断った私の人生も、酔生夢死かもしれない。
それでも、酒を飲み続けるより、断つ人生の方を私は選ぶ。何故ならば、自分の人生を能動的に生きたいからだ。素面に生き、現実をしっかりと見て死んでゆく方を選ぶ。
酔生夢死。こっちの方が楽な生き方かもしれない。何も考えず、酒を飲んで酔っ払い、夢を追いかけて、年老いて死んでゆく。
年老いて、で思い出したのだが、今日訪れた友人宅からの帰途、空いていた電車内。プーンと、鼻を衝くアルコール臭。ちょっと、オエッとなった。その悪臭の根源は?と探したら、私の対面に座った爺さんだった。手に、缶入りのウィスキーの水割りを持っている。何故か、タオルで隠しながら飲んでいるが、見えている。
この爺さんの人生は、酔生夢死なのか、もっと充実しているのか、私には分からない。
さてさて、今日訪れた友人宅で、可愛い生後1か月の子猫がいた。母猫が育児放棄して、育てないんだそうで、ミルクをあげたり、離乳食をあげたり、ホット用のペットボトルにお湯を入れて湯たんぽ作って温めてあげたりしているとのこと。
猫好きの私には、もう、たまらなかった。手のひらにちょうど乗るくらいの大きさ。ミャァミャァ鳴いてて、まだ、よたよた歩いている。小さな肉球。大きさは、1円玉くらいかな。
もう少し落ち着いたら、もらってくれないかな?と言われたのだが・・・さて、どうしようかな・・・
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