本日11月22日(2016)は、語呂合わせの「いい夫婦の日」。
「今日はいい夫婦の日だね。それじゃ乾杯!」なんて、ワインかなんか仲良く飲むいい夫婦もあるだろうし、仕方なく夫婦を演じているなんてこともあるだろう。
夫婦のあり方は、千差万別。新婚さんもいれば、金婚式の夫婦だっている。
どんなに長く連れ添っていても、いい夫婦になれないケースがある。夫婦のどちらか或いは両方ともが、かつての私のような飲んだくれの場合だ。
パートナーの一方が問題飲酒者の場合、もう一方は、尻ぬぐいに回ることが多い。飲酒に関して自由奔放であっても、そんな暮らしが成り立つのは、支えてくれるパートナーがいればこそ、である。
はっきりと言えば、アル中が酒を飲み続けた場合、いい夫婦になれる確率は極めて低いだろう。夫婦の関係がうまく行かない理由が酒であることも、飲酒者本人が気付かない限り、問題の解決には程遠い。薄々と自分の酒が原因だと分かっていたとしても、問題飲酒者は、飲み続けるケースが圧倒的に多い。
断酒のことに気付いて、それを取り込んだ生活を実践しつつある夫婦は、それだけでまずは、幸せなのである。私もそうだった。酒を断つ苦しみは自分だけのものだが、酒を断つ楽しみは、自分にプラスして、配偶者、息子、娘、母、父、祖母、祖父、友人、知人・・・とその輪はどんどん広がる。
これまで断酒で一体、何人の人が幸せになったのだろうか。その中でも、一体何組の夫婦が、明るくなったのだろうか。うちの夫婦が、そのうちの一組になったことは、間違いない。私が酒を断ってから、やっといい夫婦の仲間入りが出来たようだ。
追記:
逆に、断酒して不幸になった人、飲んだくれパートナーの断酒で不幸になる夫婦は存在するのだろうか。昨夜書いた自分の文章を読み返していて、こんな素朴な疑問が湧いた。
もし、断酒が原因で不幸になった人や夫婦が存在するとしたら、そもそも、その不幸の反対、幸福とは何ぞやとの問いが覆いかぶさって来る。飲酒時の幸福とは、頭の中でアルコールが繰り広げていた幻想に過ぎない。もし、これが無くなったことを断酒の不幸と定義する人がいるなら、その人はまだまだ断酒の安定するまで時間が掛かりそうだ。
(子猫には、とても癒される。もし、飲んだくれを続けていたら、猫を飼うこともなかったと思うし、もし断酒しないまま飼っていたとしたら、酔っぱらって踏んでしまったり、何か酒のつまみを与えてしまったり・・・コワイなぁ)
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