これまでは何事もなかった、日常。
ふと気付いてみたら、全くの非日常な世界。
それを橋渡ししたのは、酒だった。
これは、ブログを読んで下さっている方ならば、経験があるだろう。恐らく、読んで下さっている方は、現役或いは引退に関わらず、酒量はかなりのものと推察される。
ふと気付いてみたら・・・
公園で寝ていた。
トラックの荷台にいた。
電車に乗っていたが靴を履いてない。
見知らぬ街を歩いていた。
知らない異性と寝ていた。
トラ箱の中だった。
等なら、まだ、良い。
ふと気付いてみたら・・・
隣に誰か死んでいた。
車で誰かを轢いていた。
線路の上で寝ており片足が切断されていた。
闇の組織に囚われていた。
拉致されて某国へ送られる船倉だった。
これら最悪の事態は、冗談ではなく、十分に有り得る。
何故ならば、泥酔している時は、自分自身を喪失しており、エタノールに支配された別人格が出現しているか、または針で刺されても起きないくらいに、エタノール麻酔によって寝込んでしまっているか、どちらかであるから。
エタノールに支配された別人格は、何の役にも立たないどころか、寧ろ害悪をもたらす。醒めた時には、その人格はどこかへ消え去り、何の責任も取ってくれないからである。
これまでの当たり前の日常が、ある日ある時を境に、失われる。プッツリと、それまでの世界から遮断される。このことの恐ろしさは、経験してみて初めて分かるのだが、他人の心や身体や命、自分の身体や命に関わる重大な事件・事故を起こした後では、時すでに遅しなのだ。時間は巻き戻し出来ない。
酒つまりエタノールの人体への作用は、丸でジェットコースターだ。飲んで飲んで飲んで・・・段々と天辺へと車両は引っ張られて、頂点で一気に滑り落ち、もの凄いスピードに酔い痴れ狂喜し、ふと気付いてみれば、もう歓喜のジェットコースターは停止しており、あっという間に楽しい時間は終わりなのである。
酔いからの覚醒と同時に、楽しい時間が終わっただけならば問題ないが、悲しい時間、不快な時間が始まっている。頭痛がする、吐き気がする、財布を紛失した、携帯が壊れている、メガネが無い、など、自分のことだけなら、時間が解決してくれる。
が、他人を傷つけてしまったとしたら・・・
傷つくのは、身体だけではない。心も傷つく。身体も心も、傷が癒えるのには、時間が掛かるし、傷跡は残る。
この辺りが、深酒・泥酔・悪い酔いのとてもコワいところだ。普段ではあり得ない言動がポンポンと飛びだしてしまうのだが、自分は全然記憶にないと来ている。
今日書いたことの行きつく先は、人生を捨てることになる、アルコール依存症である。
Grayさんがコメントで教えて下さった、読売新聞>関西発>企画・連載の、
YOMIURI ONLINE
伴走記「アルコール依存症の現場から」
これは、是非とも皆さんに読んでほしい。
(Grayさんが教えて下さり、NoSakeさんが当該記事へのリンクをコメント欄で貼って下さった。良い記事なので、私もリンクを貼った。)
私は、読みつつ、考え、また先を読みつつ、考えた。私も、こうなっていたかもしれない。そして、この伴走記に書いてあるように、アルコール依存症は、当の本人が本気で治す気にならないと、治療へと進まない。
厄介なことに、入院治療するには、本人の同意が必要である。が、そもそも別名が否認の病と言われるわけで、本人が自分のアルコール依存症を認めない。では、本人が自覚する最後のチャンスの底付きを待つか・・・でも、更に厄介なことに、待っている間に、死んでしまうかもしれない。
現実と非現実を、日常と非日常をつなぐ魔界の飲み物《酒》。この魔性の飲み物《酒》に、囚われてしまうと、厄介である。
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