酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

根なし草の根は深い(断酒3年283日目)

 私は、自分の断酒を確固たるものにしようと、日々このブログを綴っている。

 

 確固たるもの、とはつまり、大地にしっかりと根を張って、自分の寄って立つ足元を固め、その上にすっと真っすぐに立つ大木のように生きたいと言う意味。

 

 理想は高いが、なかなかどうして、そんな風に生きることは、難しい。けれども、少しでも近付きたい。

 

 断酒は、誰かに言われてするものではないし、誰かのためにするものでもない。自分で断たなければならないと判断し、断とうと決めて、自分の為にするものである。つまりその基準は他人ではなく、自分にあるのだ。

 

 だから、どんなに苦しくとも、迷ってはいけないのだ。

 

 私の断酒は突然に始まったが、「酒を断たなければこの先の人生は無い」、との確固たる思いが先立った。最初の一年間はかなりきつかったが、迷いは無かった。

 

 断酒に当たって、自分の考えをしっかりと持たないと、ふわふわと水面を漂う浮き草のように、あっちへこっちへ、風や波に流されてしまう。やり方が違うのかも、考え方が違うのかも・・・ひょっとしたら飲んでも大丈夫なのかも・・・と、正反対の方向へ漂ってしまうかもしれない。

 

 断酒とひと口に言うけれど、たったの漢字で二文字、しかも酒を断つだけの意味ながら、これは、とても奥が深い行動である。

 

 自分の考えをしっかりと持たない根なし草のような断酒だと、その苦しさから逃れる妙案や妙薬を誰か持っているのではないかと、自分以外の誰かに答えを求めたくなる。その昔、始皇帝が求めて却って死期を早めた不老不死の薬のようなものだ。

 

 人それぞれの人生があるように、断酒も人それぞれであって、自分の辛さを軽減してくれるような人はいない。でも、同じように苦しみを苦しむ仲間はいる。だから、自助の会であるAAや断酒会や、このようなブログに集うのである。

 

 断酒は飽くまでも、自分が主人公であり、そのストーリーは自分で作らなければならない。敷かれたレールは無いのだ。レールは自分で敷設しなければならない。

 

 この辺りが分かっていない根なし草の断酒だと、その問題の根が深い。根なし草だけれど、根が深い。つまり、その問題の原因や根拠などがかなり深いところにあるのだ。

 

 もし、酒を断つ生活に少しでも迷いが生じたならば、自分は何故酒を断ったのか、その原点は何だったのか、見詰め直してみることが必要である。

 

 人それぞれの断酒なのだから、自分の断酒と他人の断酒が同じはずはないし、違って当たり前である。理由も、やめた時期も、その期間も、苦しさの度合いも、ひとりとして自分と同じ人はいない。

 

 いつも書いていることだが、断酒の期間が長いからエライとか、短いから新参者だとか、そんなことはない。3日の人も、3年の人も、30年の人も、土俵は同じなのだ。一日一日繰り返すだけだから。

 

 根なし草ではなくて、しっかりと大地に根を張った断酒で行こう!

 一日一日大地から養分をもらって、少しずつ、成長して行くのだ。

 

 

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(一部の方から、スマホでは再生出来ないとの報告を頂いております。すみません。)

 

 

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