今夜は聖夜のクリスマス・イブ(発音に拘る人は《イヴ》!?)。
イエス・キリストの誕生の前夜。クリスチャンであろうとなかろうと、神聖なものだ。
さて、せっかくクリスマス・イブなので、断酒者の誕生の前夜《断酒イブ》について、書いてみよう。
私は、その夜飲み過ぎてしまったことだけは、鮮明に覚えている。何をやらかしたのかは、記憶にないどころか、自分のその夜の行動は、飲み始めの1、2時間以降は、一切覚えていない。翌朝、かみさんに事細かに聞いて、青くなった。と同時に、何度も書いていて恐縮だが、「酒を断たねばこの先の人生はない!」と、即座に断酒を決めた。
私の断酒イブは、飲酒開始の時点では、酒を断つことなど欠片も頭には存在していない。いつものように、ロング缶のビール&酎ハイを飲み干したところからスタートしている。以前も書いたが、私の最後の酒は、泡盛だった。
酒を断った人には、必ず《断酒イブ》の夜が存在しているはずだ。その夜の酒量は半端ではないことも同じだろう。中には、そんなに飲んでいなかったが、やめたと言う人もいると聞く。
同じ《イブ》と名づけても、断酒のイブは、とてもではないが、イエス・キリストの誕生前夜のような神聖で厳かな夜とは比べられないし、比べてはいけない!
けれども、それまで飲んだくれでどうしようもなかった人が、その夜を最後に翌日から飲まない人=断酒者に生まれ変わったのならば、矢張り、《断酒イブ》は意義も意味もある夜なのだ。私にも、有った。あの夜がなければ、今の私も無かったかもしれない。
《断酒イブ》は、酒を飲み過ぎて、何やかややらかして、はっきり言ってとても汚い夜だろう。私はそうだった。でも、翌日から酒を断ったのなら、それはその人にとっては、とても大事な夜なのだ。私は、いつも思い出して、自分への戒めとしている。
この次飲んだら、確実に破滅すると分かっている。何故ならば、飲酒に関してアンコントローラブルな自分は、酒を飲まなくなって3年8ヶ月を迎えた今でも、そのままであり、何も変わっていないから。決して治りはしない持病であって、ほんのひと口の酒で再発することが分かり切っているから!
普通、人はイヤなことを思い出したくない、忘れてしまいたいものだ。出来れば、スマホやパソコンから失敗した写真や動画を削除する時のように、消去してしまいたい。けれども、自分が酒を断つきっかけとなった《断酒イブ》のことは、決して忘れてはいけない!寧ろ、毎日飲みたくなったら鮮明に思い出さなければならない。
もし、酒をやめようと思いつつも、まだやめてない人がいるなら、今晩でも明晩でも、大晦日までのどれかの晩でも、《断酒イブ》として、翌日から断ってみては如何だろうか。
☆断酒丸来年もやりますか・・・?
今のところ、数人の方からメールやコメントで参加の希望を頂いてます。
名簿の記載はやめて、誰でも掲示板モドキのコメント欄に書き込んでもらったほうが楽しいのかな、でも、断酒歴・性別・年代・地域など、分かったほうが、自分と似た人が見つかって楽しいのかな・・・といろいろ考えてます。
元旦まで日がありませんが、やるとしたら、来年の名簿を新たに作る予定です。
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