久しぶりに、断酒の俳句モドキと、短歌モドキを詠んでみた。
先ずは、俳句モドキから。
『呑むために 生きる人生 虚ろかな』
(のむために いきるじんせい うつろかな)
虚ろとは、内部がからであること。空洞。からっぽ。また、心が虚脱状態であること。表情などに生気のないさま。むなしいこと。酒にハマると、丸で酒を呑むために生きているようになる。人生、酒に捧げてしまったような生き方は、正に虚ろである。
『忘年会 己を忘れ 悔い刻む』
(ぼうねんかい おのれをわすれ くいきざむ)
飲んだくれは、忘年会で今年の苦労を忘れようと、酒を飲み過ぎて己を忘れ、逆に忘れることのない後悔を心に刻むことになる。これ、正にかつての私自身のことである!
『出る度に 反省ばかり 酒の席』
(でるたびに はんせいばかり さけのせき)
私は酒の席には、必ず出ていた。酒が飲め、ただそれだけで、嬉しかった。だが、必ずいつも度を越して飲み過ぎて、翌日反省することになるのであった。
『断酒者が 一番有利 酒の席』
(だんしゅしゃが いちばんゆうり さけのせき)
かつての私は、酒の席では、酒に強い人=酒豪が一番有利だと信じて疑わなかった。何故ならば、かなりの量を飲んでも、平気な顔で、まだ飲んでいるわけで・・・酒にそんなに強くはない私は、そのような人が羨ましかった。
けれども、断酒して分かったのは、酒の席では、飲まない人が一番だと言うことだ。何しろ、素面なのだから、一番なのだ!何が一番て、精神状態が一番安定しており、どんなに遅くまで飲んでも、言動に於いて危険が無い!
『飲み会に お呼び掛からぬ 嬉しさよ』
(のみかいに およびかからぬ うれしさよ)
酒を断って暫くの間は、酒から距離を置くために、あらゆる飲み会を断っていた。正直な話、淋しかった。そして、ついに飲み会への誘いが無くなった。これが更に淋しかった・・・のだが、断酒1年経過の頃から、飲み会に誘われないことが快感に変わった。
次に、短歌モドキ。
『酔い醒めの 後悔の朝 酒断ちを 誓う夕べに 呑むは我なり』
(よいざめの こうかいのあさ さけたちを ちかうゆうべに のむはわれなり)
酔いから醒めて、頭がガンガン痛くて吐き気も強く、実際にトイレで何度も吐いたりして、こんなに苦しいなら酒なんてやめてやる!と、思うのだが、夕方になって身体が楽になって来ると、そんなことは忘れて、また飲んでいる。
『あれほどに 反省しきり 呑み過ぎに 屁理屈並べ また呑む今宵』
(あれほどに はんせいしきり のみすぎに へりくつならべ またのむこよい)
先の歌と同じ意味だ。
大体、飲み過ぎた翌日は、先夜のことを思い出し、反省すること頻りなのだが、日も暮れて、飲んべー魂が騒ぎ出すと、反省なんてどこかへ捨ててしまい、屁理屈を並べて、結局はまた飲んでしまうのだ。
『宿酔いの 不快が去れば 呑みたさに 負けて今宵も 宿酔いになる』
(やどよいの ふかいがされば のみたさに まけてこよいも やどよいになる)
これも、先の二つの歌と意味は同じだ。どんなに酷い二日酔いになろうとも、アルコールが抜けてしまうと、また飲みたくなって、結局また飲みすぎて二日酔いになる。同じことを繰り返すのが、飲んだくれである。
『飲み過ぎの 理由を他人に 押しつけて また呑み過ぎる 馬鹿な我かな』
(のみすぎの りゆうをひとに おしつけて またのみすぎる ばかなわれかな)
飲みすぎたのは100%自分の責任なのに、他人のせいにする。あいつがいけない、あの人がこんなこと言ったから、自分は頭に来て飲み過ぎたんだ、とか。これじゃ、いつまで経っても、同じことを繰り返す。
『断つ酒に 未練残すな キッパリと 別れを告げよ それが断酒ぞ』
(たつさけに みれんのこすな きっぱりと わかれをつげよ それがだんしゅぞ)
未練を残したまま断酒をしている人もいる。 これは私の持論だが、どうせ飲まぬと決めた酒に未練を残して何の意味があるのだろう。徹底的に酒を嫌ってしまえばいいのにな~って、いつも思う。
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猫のちぃちゃんがTwitter始めた!?
おはようにゃฅ
— ちぃちゃん (@Chiichan_1005) 2016年12月26日
今日も1段と寒いにゃ〜ฅ
外も寒そうにゃ〜ฅ•ω•ฅゴロニャン pic.twitter.com/iCB7fBphN9
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