《迎合》自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること。
断酒している人にとって辛いのは、《迎合》ではないだろうか。特に、日本の組織では、会社にしろ、役所にしろ、当たり前に出てくる酒を、他の人と同じように当たり前に飲まなければならない場面《迎合》が多々ある。しかし、酒一滴でも、決して迎合してはならない。知恵と工夫で乗り切るしかないのだ。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年1月3日
納会やら、仕事始めやら、日本の会社や役所などの組織では、事あるごとに全体が集まって、酒を囲む。
その雰囲気は、否でも応でも、注がれた酒を飲まざるを得ない、一種の恐怖政治のようである。自分一人だけ違う行動をすると、かなり目立ち、しかもそれが、組織内での自分の立ち位置に影響することもある。
しかし、酒に関しては、決して迎合してはならない。断酒を貫くのは大変なことだが、組織内で浮くのがイヤだとか、変人扱いされるとか、そんなことを思って、コップ1杯の乾杯くらい仕方ないだろうと、迎合したら、後が無い。
人生に於いて、迎合や妥協が必要なことももちろんある。だが、こと断酒に関してだけは、絶対に譲れないことを、きっぱりと態度で示すべきだ。一度、形だけでも、などと受け入れてしまうと、それが蟻の一穴となってしまう。
アル中にとっては、人生に於いて、仕事よりも、酒を断つことの優先順位が高いのである。何を置いても、先ず断酒なのだ。
考えてもみるが良い。周囲に合わせようと飲んだとする。それは、本末転倒を意味する。何故ならば、飲んでしまえば仕事にならないからである。それだからこそ断ったのに、嫌われたくないとか、浮きたくないとか、そんな理由で飲んでしまったら、アル中の本領を発揮して、本当に嫌われ、浮いてしまうのだ。
でも・・・と、それでも、何だかモヤモヤしている方もいらっしゃることだろう。
私の身近に、酒を一滴も飲まずに、迎合もせず、会社と言う組織をうまいこと泳いでいる人がいる。
うちの、不飲酒仙人のかみさんは、ずっと組織の一員として働いて来ており、今でも現役の会社員だが、一滴も飲めない体質だ。
彼女は、飲まないのではなく、飲めない。だから、飲まない。一滴でも飲めば、心臓がバクバクし、すぐに真っ赤になり、超絶に気持ちが悪くなってしまうそうだ。そんな毒を、自ら飲むわけがないのである。
酒を飲んで問題を起こす人は、つまり体質的には飲んではいけない人なのだ。問題を起こす元の毒=酒を、飲めないのではなく、飲まない。自らの考えで断酒したのである。だから、一滴でも飲まない。
断酒を志し、実践しているのであれば、一滴でも飲めば、人生終わりだ!くらいの心構えで、酒に臨まねばならない、と私は考える。そこ(断酒)には、一切の《迎合》も《妥協》もあってはならない。
この一点だけは譲れない!と、腹を括って、開き直ってしまうのが一番だと思うが、如何だろうか。
生来全く酒を飲まずに世渡りをしてきた不飲酒仙人の、飲んだくれ観察の話をたまに聞くが、その冷静な目は、的確に酔っ払いの醜態を捉えている。
「何であんなにお酒を飲むのかな?意味ないよね~。バカみたい。」
かつての私は、意味もなく、バカのように酒を飲んでいた!
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