ついに、あと2か月ほどで、私の断酒も、この断酒ブログも、丸四年を迎える。
断酒して間もない頃は、断酒を趣味に、そして、断酒教なる宗教へと昇華させることを試みている。
2013/8/7
『趣味は断酒(断酒146日目)』
2013/11/26
『飲酒教やめて断酒教に入りませんか?(断酒257日目)』
日々断酒に限定して書き続けて来たこのブログだが、いつかの記事に、「どこを切っても断酒が出て来る断酒の金太郎飴」を目指す、と書いた記憶がある。今でもそうして書き続けているので、断酒の金太郎飴は、実現している。
最近ふと、もっと高尚な表現で、毎日書いている断酒ブログは、ひょっとして「断酒哲学」なのかな、と思った。
宗教ではなく、哲学。
哲学とは、智を愛する学問。
酒を断つ日々の魅力は、毎日このブログに断酒のことを綴る、断酒を愛する学問なのだろうか。
酒を飲む事ではなく、酒を断つことが、これほど奥深いものだとは、酒断ちを始めた頃には露ほども思わなかった。ただ、酒を飲む事を我慢するだけの断酒は、キツイだけで、飲まないこと以外に一体、何があると言うのか。
日々、断酒について思いを巡らすと、実は飲んでいた酒を断つことは、それ自体で、全く別の、酒を飲まない世界の扉を開けて、飲酒とは全くの異空間へと誘ってくれたのだ。
酒を飲んで酔うことは、それなりに魅力的ではある。何しろ、手っ取り早い。味の付いた液体を飲んで、脳にストレートに作用するエタノールが、その効果を遺憾なく発揮するまで、少し時間を待つだけだから。
だが、酒の主成分エタノールに幻惑されて、飲酒行為の行き過ぎる人の、なんと多いことか。私もその一人だったわけだが。
断酒とは、それまでの飲酒生活を捨てて、酒を飲まない生活を謳歌しつつ、人生を哲学することである。エタノールを完全に排除したクリアでピュアな頭脳は、あらゆる可能性を秘めている。
こんなにも、断酒に魅力があるとは!
誰でも最初は、仕方なく酒を断つ。もう、それ以外に無いところまで追い詰められて、酒を断つ。
そのスタートラインからの生活を、なるべく積極的に前向きに送ることで、先々明るさが増してくるのだと思う。
断酒の日々を、辛い・苦しい、だけで送るより、せっかく酒を飲まないクリアな頭の状態なのだから、深く人生を考えながら送る方が良い。酒を断つ日々の魅力的なことを実感する日が、きっと来る。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)