酔っ払いはずるい!
大日坂茶房さんから頂いたコメントで、はたと気付いた。これまで、ずっとブログを書き続けてきて、酔っ払いのずるさについては、これを直接の話題にしては書いたことがない。
酔ってしでかした、悪いこと。私のは実にいろいろあって、いちいち書けないが、全て、後から、
「いやぁ~、あの時は、酔っていたので・・・」
と、一先ずは、酒の所為にしていた。つまり、飲んだ私ではなくて、飲んだ液体《酒》が全て悪い。私は酔っていて、記憶がない。
新聞沙汰になった犯罪でも、容疑者の文句はいつも同じで、
「酒に酔っていて覚えていない」
である。
確かに、酔ってしでかしたことに違いはないだろう。記憶にないのも事実だろう。何度も書いているが、アルコールが過度に流入することによって、脳の海馬が仕事をサボり、忘れる前に記憶されていないのだそうだ。
だが、自分がやってしまったこと、それが現実であること、それは変えることが出来ない。それでも、シラフなら決して起こさなかったと言う考えがあるから、酔っぱらっていたことがいけない、と、酒を飲んで酔っていたことの所為にする。
自分は悪くない、酒が悪い。
酒にしてみれば迷惑な話で、己を失うまで飲んだのは、あんただろう!と、叫ぶだろう。ほろ酔い程度でやめておけばいいのに、自分が誰だか分からなくなるまで飲んで、挙句の果てに、他人を傷つけたりするわけである。
日本では、酒を飲んでしでかしたことは大目に見る習慣がある。あ~、酒を飲んでいたから仕方がないな、とか。これほどおかしなことはないのだが。合法的な飲み物だからそんな話になるのだろうか。あ~、覚せい剤を使っていたから仕方がないな、とは決してならないのに。
私はこのブログを書き始めた頃、それまでに酔っぱらって仕出かした数々の失敗・失態を、懺悔としていくつも記事にした。そうして、自分の過去をさらけ出して、反省の材料とした。
当時迷惑を掛けた人、それは職場の人だったり、自分の子供だったり、かみさんだったりしたわけだが、謝るときはいつも、「酒に酔ってあんなことをしちゃって、ごめんなさい」だった。
いつだって、酒の所為にしている。本当は、そうではないのだ。酒を飲んだこと、そのものが、悪いのだ。そのことに早く気付けば、もっと前に断酒していたはずだ。そもそも私には、ほろ酔い程度で飲酒を収めることが出来ないこと、これが一番の理由なのだ。
私も飲んだくれ時代、いつも、何でも酒が悪い、酔っぱらったことが悪い、と、酒を飲んだことそのものを棚に上げて来た。朝、ひどい二日酔いで頭痛と吐き気に襲われても、あ~、飲み過ぎた、昨日飲んだ酒が悪い!であった。
おいおい!飲んだ自分がいけないのであって、酒が悪いのではない。酔っ払っての言動は全て自分に責任があるのだ。記憶になくたって、車を運転しているかもしれないし、人を言葉で傷つけているかもしれないし、パワハラ・アルハラ・セクハラをしたかもしれない・・・
それでも、酒に酔っていたことが免罪符になってしまう世の中なのである。そう言えば、《免罪符》で、以前記事を書いた記憶があり、探してみた。
2014/12/3
《酒には免罪符が付いているのか(断酒1年264日目)》
表現は違うが、酔っ払いのずるさについて、この頃既に義憤を感じて書いてた。
事ほど左様に、酔っ払いはずるいのである。酔っ払いは狡猾である。酔っ払うまで飲んだのは自分なのに、酒に責任を擦り付けるのである。
酔っ払いはずるい件について書き進めて来たら、ますます酒が嫌いになった!
この件について、改めて気付くきっかけを下さった、大日坂茶房さんありがとうございます。
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