自分が酒を沢山飲んで酔っ払い、人に迷惑を掛けるから酒を断とう、がこのブログの出発点でもあり、内容のメインでもある。
断酒した年の秋ごろ書いた記事でも、酒は凶器であると書いているが、これは自分が飲んだ場合のことだった。
2013/10/16
用い方によっては、酒そのものが凶器にもなることを、今日のニュースで再認識した。それは、医師2人と医学部の学生1人が、女性に酒を飲んで泥酔させ、性的暴行を加えた事件である。
容疑者らは、飲み会の中で、罰ゲームと称して、抵抗出来なくなるまで、女性に多量の酒を飲ませていたそうだ。
自分が飲んで正体を失くす危険は、断酒してから十分に認識したが、この危険な飲料を、他人に大量に飲ませて、その薬理作用を悪事に利用しようなど、なんとまあ恐ろしいことを企むのだろう。
飲めない人・飲まない人に飲酒を強要するアルハラとは違い、この事件のように、飲み会の中で、ある程度酒を飲む人に、悪意を持って大量に飲ませる行為は、酒を凶器として用いていることになる。
結局、自ら飲んでも、他人に飲まされても、酒は毒であることに変わりはないと言う事実が、眼前に横たわっている。
ここで断っておくが、何でもかんでも酒は良くない!などと論ずるつもりは毛頭なくて、もちろん、常識的な量と飲み方であれば、問題ないし、楽しいだろう。寧ろ、適量で済ませている人の方が多いのだろう。だが、一方で、私や断酒仲間の方々のように、飲み出したら止まらない、アブナイ飲み方しか出来ない人も少なくないのだ。
沢山飲めば、酒は凶器になる。自ら飲んでも、誰かに飲まされても、ある一定のラインを越えると、酒の持つ薬理効果が、飲んだ人間を変えてしまう。泥酔して正体を失くせば、誰に何をされようとも、気付かないのである。
狂喜して酒を飲み、酒に酔って狂気し、酒が凶器となる。こんなところか。
最初は、乾杯した時の、ほんのコップ1杯のビールかもしれない。2杯、3杯、次は別の酒・・・どんどん飲んでいるうちに、ここはどこ私は誰?になって行く。じわじわと酒に侵され、自分が自分でなくなるのだが、気付かない。この辺りが、少しずつ身体を侵襲する凶器たる酒の一面である。
使い方によっては、他人を傷つける凶器にもなる飲み物は、酒ぐらいしか思い当たらない。
酒のことをあらゆる面から検討し、真面目に考えると、断酒して大正解だったな、としみじみと思うのだ。自分が飲む事もないし、他人に勧めることもない、酒とは無縁の生活こそ、私の理想である。
ちょいとご無沙汰の、猫のちぃちゃん。平和に寝てます(笑)
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