先日の記事に、断酒を12年以上も続けていらっしゃる松下さんから、
「嫌酒について今後も御指導下さい。」
とのコメントを頂き、大変恐縮している。
松下さんのように、断酒を長らく継続されている方は、自分独自の断酒のやり方が身について、生活が安定しているのだと思う。
酒を嫌いになると断酒が楽だ、と常日頃ブログで訴えている私の考え方が、今、酒をやめて辛い方、ずっとやめているけれど、まだ飲みたい方に、少しでも参考になれば、幸甚である。
いやいや、そうではなくて、自分はこんな考え方ややり方で酒を断ち続けているという方がいらっしゃれば、それも断酒の考え方・やり方のひとつであるので、是非教えて頂きたい。
断酒は酒を断つだけの行為だが、そこまでのアプローチは断酒する人の数だけあると、私は考える。
先日の記事、
2017/2/9
『断酒が先か嫌酒が先か(断酒3年332日目)』
にも書いたが、私の断酒のやり方である嫌酒は、「可愛さ余って憎さ百倍」作戦である。
本当に酒を断ちたいなら、「酒にだって良いところはあるさ」などと、ほんの少しでも未練を残してはいけない。
徹底的に、憎んで嫌うことが、この作戦の肝である。もちろん、こんな考え方をせずとも自分は酒をやめることが出来ると言う人は、どうぞそのまま・・・
人を嫌うのではない、一生飲まないと決めた酒を嫌うのである。何を不都合があろうか。(←これは、何度もこのブログで書いてきている。)
可愛さ余って憎さ百倍の意味は、古事ことわざ辞典によれば、
「かわいいという気持ちが強ければ強いほど、いったん憎しみの感情が沸けば、その憎しみは度もはなはだしいものだということ。 」
だそうだ。
また、注釈にはこう書いてある。
「日頃から可愛がっていた者に裏切られたりして、ひとたび憎いと思うようになると、その憎しみは可愛さの何倍も強くなるという意味。」
酒を可愛いと思っていたわけではないので、「可愛さ余って」は当たらないが、私の場合、酒を愛していたことは確かである。それを証拠に、飲んで酔っ払ったまま死ねるなら、本望だと、家族を含め周囲に嘯(ウソブ)いていた。
これは、本当に自分勝手な考えである。自分だけ酔っ払っていい気持になって、あとは野となれ山となれ、とばかりに、いつもひっくり返っていたわけだし。
また、酒に裏切られたと言うのも、本来は当たらない。酒は単なるエタノール入りの液体であって、私と酒が何かの約束をお互いにしたわけではない。私が一方的に酒に思い入れをしていただけである。
酒にとってはいい迷惑だろう。勝手に好かれ、勝手に嫌われて。それでも、酒よ、私はあなたをとことん嫌うのだ。それによって、酒なしでの生活を快適にするために、と酒を嫌う作戦を実行して来たのだが、今や酒などどうでも良くなってしまった。
特に嫌いでもないし、もちろん好きでもないけれど、扱いは調味料だろうか。醤油、味醂、酢、日本酒と言う感じだ。たまに、ワイン、紹興酒。この他の種類の酒は、もう縁が無いし、店の陳列棚に並んでいる色とりどりの酒類が目に入っても、かつては吐き気を催したが、今ではただ素通りするだけになったようだ。
可愛さ余って憎さ百倍作戦も、極めれば、可愛くも憎くも無くなるようだ。
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☆春のオフ会のお知らせ
4月9日(日)に東京駅近辺でランチのオフ会を予定しています。ランチ後、皇居周辺の桜を見てもいいですね。日中なので、少し遠方の方も、帰りの時間を気にしなくても大丈夫かな。
参加出来そうな方は、のみすけまでメールを下さい。オフ会の詳細については、参加者宛てにメールでお知らせをする予定です。
☆参加予定メンバー(2月15日現在)
のみすけ、みなみさん、shachiさん、あっちゃん、マッキーさん、大日坂茶房さん、カミーユさん、タカさん、トビーさん、はむちゃん、しーちゃん
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