感情の起伏のタイトルでは、以前にも書いている。
2015/5/9
『感情の起伏(断酒2年56日目)』
この記事から、更に約2年が過ぎた。
飲んだくれの頃は、悲しくても嬉しくても、毎日酒を飲んでいた。それは、ルーチンワークのようでもあった。
あと数日で断酒も4年となる今現在からすると、あの毎日の過剰な飲酒は一体何だったのか・・・自分のことながら、良く分からない。この辺りが、かなり不思議な感覚である。
流石に朝からは飲んでいなかったけれど、夕方になれば必ず飲み出して、だらだらと飲み続けては、そのまま寝てしまっていた。
断ってからは、辛いとき、悲しいとき、特に酒を飲みたくなって困った。嬉しいときにも祝杯を挙げたくなるけれど、ネガティブな感情の時に比べれば、大して欲しくはなかった。
断酒が安定するまでは、感情の起伏によって、酒を飲みたくなる気持ちが弱まったり強まったりする。
ならば、常に精神を一定にしていれば良いではないか、と考えるけれど、凡人にはそんなことは出来ない。誰かに何か言われてしょ気たり、進めていた物事が失敗して意気消沈したり、どうしても白黒はっきりさせたくて譲ることが出来なかったり・・・往々にして感情が高ぶったり落ち込んだりすることが多い。
高ぶっても落ち込んでも、それを鎮める為に、酒が欲しくなる。酒の鎮静効果を知っているから、真っ先に浮かぶのである。飲めば、楽になる。これが、酒を求める第一で唯一の理由だ。
ただ、酒が毒であることを学んで、知識としてのみでなく、実感として分かるようになると、感情の起伏と飲酒を切り離して考えることが出来るようになる。
嫌なことがあって、それを直視したくない時、酒が欲しくなるのは、つまり一先ず酒に逃げたいだけなのである。薬物として酒を利用したいだけなのである。急な発熱や歯痛に対して、取りあえず薬箱の中にある鎮痛解熱剤を服用するようなものだ。
繰り返せば、鎮痛解熱剤の効果は薄れて来る。同じ効果を得ようとすれば、更に薬物の量を増やさねばならなくなる。
酒を断って、その生活が安定して来れば来るほど、この感情の起伏がなだらかになって来る。人間だから高低は無くなりはしないが、激昂したり、消沈したりすることが減る。怒っても凹んでも、感情的にはかつてほどの浮き沈みが無くなって来る。
酒に頼っていた頃に比べると、心が穏やかになっている。断酒の効果だろうか。この辺り、自分でも良く分からない。
(写真は、今は亡き義父が、7年前の3月11日に撮影した、ザゼンソウ。心の安定と雪の中で座禅するザゼンソウ・・・)
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