断酒の日を数えることに意味は無いと何度も書いているけれど・・・
一年が積み重なって、新たな断酒の年度を迎えると、気持ちは引き締まる。また今日から五年目の飲まない日を一日一日数えて行くことにしよう。
敢えて言うなら、日を数えるのは、自分が酒を断っていることを忘れないためである。そんなこと意識しなくなれば断酒は本物だとの意見もあるが、終生の病であるアルコール依存症であってみれば、自分がその患者であることをいつも意識することが大切なのだと私は考える。
自分がいくら飲まないでいても、飲酒への誘惑はそこかしこにある。
どんな聖人でも賢者でも、脳にアルコールが流入すると、理性を司る大脳が麻痺して、たちまちにして愚者になってしまうのだ。
例えば、車の運転で考えてみよう。何十年も無事故・無違反でタクシーを運転している人でも、数々のレースを総なめにしたF1ドライバーでも、素面であればこその安全運転であり、運転テクニックであって、酒を飲んでしまったら、単なる飲酒運転に過ぎなくなる。
学校の先生、大学の教授、武道の達人、習い事の師匠・・・どんなに立派な学問や武芸・技芸を修め、それを沢山の人に教え、自ら手本となって生きて来たとしても、たった一度、泥酔して何かとんでもないことをしでかしたら・・・たちまちにして山の天辺から奈落の底へと真っ逆さまに転げ落ち、世間から袋叩きに遭うのである。
そこで、今日のタイトルは、私が考えた、断酒格言。
『賢者も酒で愚者となる』
(けんじゃもさけでぐしゃとなる)
賢者・・・道理に通じた賢い人
愚者・・・愚か者、ばか者
この逆で、愚者は断酒したらどうなるかな?
『愚者は断酒で蘇生する』
(ぐしゃはだんしゅでそせいする)
蘇生・・・ 息をふきかえすこと。生き返ること。よみがえること。生き返ったように元気になること。
私のような愚者は、断酒しても賢者にはなれないが、生きながらも死んでいる自堕落な酒浸り状態から、蘇生することは出来た。素面の大人の男として、人の子の親として、飲んだくれを見捨てなかった妻の夫として、生き返った。
もちろん、飲んだくれ時代に愚者であっても、元々が賢者の方は、断酒によって更なる知恵者となって、復活することだろう。
嫌酒に次いで私が当ブログで提唱している、
『50歳になったら、無条件に断酒しよう!』
と言う、一見無謀(!?)な指針がある。
これは、飲む酒の量や頻度、酒に対する強弱など一切関係なく、これまで酒を飲んでいた人は、50歳になった時点で酒から離れると、その後の人生が、酒によるリスクから解放され、豊かになると言う提案だ。
酒飲みの人で、50歳まで命があって、後ろ指さされる愚行が無くて、普通に生活出来ているなら、それは奇跡である。これからも何もないとは考えず、無条件に酒を断ってしまえば、加齢によって弱ってくる肝臓その他の臓器にも、認知症へと向かっているかもしれない脳にも、良い影響を及ぼすのだ。
『 酒断ちて 迎うる五十路 穏健に』
(さけたちて むかうるいそじ おんけんに)
追記:50歳で無条件に断酒の件で、今朝方(2017/3/16)Twitterに、歌手の五月みどりさんの言葉が出ていた。私の考えが、正にこんな感じだ。
昔はほんとに飲兵衛で。飲み始めたのは30歳からなんですけど。50歳でやめたの。20年間でぴったりおしまい。50歳になった時に、ふと「こういうことをしてたら私はダメになるな」と思ったんです。(五月みどりさんの言葉) #断酒 #禁酒
— 断酒応援bot (@letsdanshu) 2017年3月15日
最後に・・・昨日の断酒満四年の記事へ、とても多くの方からお祝いと励ましを頂き、誠に恐縮です。本当にありがとうございます。こんなにも多くの断酒仲間の方々と、日々酒のない生活を送ることが出来ている幸せを、これからも続けて行きたいので、日々のブログ更新は、この先まだまだ続ける所存です!
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