日々断酒ブログを綴っておられる、断酒ブログ仲間(←勝手に仲間と思ってます!済みません!)のムーランさんのブログで、断酒会に出た人に浴びせられた言葉について考察されいて、私もひと言書きたくなった。
ムーランさんに許可をもらったので、その記事をリンクさせて頂く。
ムーランさんのブログ(2017/3/15)
ひとつ予め断っておくと、私は断酒会もAAも参加したことがないので、断酒のための自助の会については、書籍やホームページ、ブログなどで読んだ知識しか持ち合わせていない。
その知識の中では、断酒会もAAも、言いっぱなし、聞きっぱなし、が原則だと理解していた。ムーランさんのブログでもそれについては触れられていて、断酒会によってはそうでないところもあるようだ。
この辺り、断酒の先達であり、断酒会に現役で参加されている松下さんのご意見を是非とも頂きたい。
私は、断酒の集まりは、それがリアルな断酒会、AAでも、バーチャルなネット上のブログやSNSなどでも、集った人がお互いに支え合い、励まし合うものであって、自分の考えや主張を押し付けるものではないと思っている。
「○○でなければならない」などと言う縛りは、断酒には存在しない。敢えて言うならば、唯一ひとつあるのは、「酒を飲んではならない」たったこれだけだろう。
なので、断酒に王道は無いし、先達する人はいるけれど、先輩・後輩の関係では決してないのだ。自分の断酒期間のほうが遥かに長いからと言って、昨日今日断酒を始めた人を見下すような、上から目線の態度は、言語道断である。
断酒に王道は無いことについては4年前の12月に書いている。
2013/12/26
『断酒に王道なし(断酒287日目)』
私はいつも主張しているけれど、今日やめた人も、30年やめている人も、一日断酒に於いては、全くの同列である。何故ならば、たった今飲んでしまう可能性がゼロではなく、もし飲んでしまったら、断酒の期間など振り出しに戻ってしまうからである。
唯一、先達としては、後から断酒を始めた人に、こんな風にしたらいいよとか、こうすれば楽になるよ、とかのアドバイスは、してあげて当然だとは思うし、したくなってしまうものだ。
けれども、せっかく断酒のための集まりに出て、自分の現況や考えなどを述べて、そのことで頭から否定されたり意見されたりするのは、アドバイスではない。そのことで悲しくなってしまうことは、本末転倒である。
藁にもすがる思いで、最後の拠り所としてそこへ来ているならば、もう他に行き場が無くなってしまうではないか。
「そんな気持ちじゃ、絶対に断酒はうまくいかない。向いてない」
今の私ならば、この言葉を裏返して、
「どんな気持ちなら、絶対に断酒はうまくいき、断酒に向くのか?」
と逆に質問する。が、断酒初期の、不安定な頃の私ならば、ムーランさんのブログにコメントを寄せたドッチさんのように、ただただかなり凹んでしまったことだろう。そんな言葉が欲しくて集まりに出たわけではないだろうから。
絶対にうまくいく断酒などは、それこそ、そんなものは《絶対に》無いのである。
但し、ここで強調しておきたいのは、心優しいムーランさんも書いておられるけれど、この言葉を放った人は、決して悪意ではなく、善意での言葉だったのだと、私も思う。
なので、誰が悪いとか、そんなことを言う積りは私には無い。ただ、断酒に王道は無いことを、自分のために予め知っておくことも必要かと思っただけだ。もし、断酒に王道があれば、酒を断つのにこんなに苦労はしないのだから。
万人向けの断酒のやり方などは存在しないのであって、自分に合ったやり方・考え方を、そういった集会のような場所や、ブログや、その他をヒントにして手探りで見つけて自分のものにして行く他に道は無い。
敢えて断酒の王道に言及するならば、その歩みの中で、同じく酒を断っている仲間と励まし合うのが、王道なのではないだろうか。
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