今日のタイトルは、昨日のオフ会報告の記事にドライバーさんが入れて下さったコメントの中からそっくり頂いた。
昨日のオフ会の帰路、しみじみと感じたのは、正にドライバーさんがコメントに書いて下さった言葉だった。
何故に奇跡かと言えば、自分だけでなく、集って下さった方々の一人一人が酒を断っていなければ決して出逢えないからである。13人の酒を断った元飲んだくれが集まるって、一体どれだけの確率なのだろうか。
《出逢い》を、《縁》に替えてみる。
《断酒が取り持つ奇跡の縁》
私が過去に数えきれないほど経験して来た、酒を飲む「飲み会」を思い出してみたが、奇跡だと思えたり、感動的だったりした「飲み会」の記憶が無い。これは当たり前の話で、本当は《奇跡》も《感動的》もあったはずなのに、酒を飲み過ぎてアルコールが回って、それを全然記憶していないのである。
それと、飲み会では、あの人は酒癖が悪いから近づきたくないな、とか、酔い出すとうるさいから敬遠しようとか、せっかくその場に集まった人たちなのに、最初から避けてしまう人も存在した。
ところが、酒を飲まない断酒のオフ会は、全く違う。
今朝方、この思いと、オフ会の初めから終わりまでを、短歌3首で表現して、tweetしてみた。
断酒仲間とのオフ会は、いつも楽しくて、自分の人生の力になる!
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年4月9日
また、いつか、どこかで!!
『初対面 オフ会後には もう友人 断酒仲間の 絆感じる』
『逢うことの 奇跡に気付く オフ会の 楽しき時間 過ぐるは早し』
『惜別の 言葉を交わし 仲間との 再会を期し 家路を急ぐ』
集まって下さったどの方とも、じっくり話をしたい。断酒のことだけでなく、人生のことも話したい。趣味のことも話したい。色んなことを話したいし、聞きたい。
話し出せば聞いてくれる、悩みがあれば聞いてくれる。自分の心の中にある不安や澱のようなものを、言葉に出して吐き出して、誰かに聞いてもらうと、何故かすっきりとする。
これは、つまり時間が何時間あっても、足りないと言うこと。話足りないのだ。いつもオフ会の帰りに思うのは、もっともっと、時間を気にしないで、集まって下さった方々とゆっくり話したかったな~と言うことだ。
過去に過剰な飲酒をしていたことを悔いても、時間は戻らないし、何の得にもならない。今こうして生きていることを先ずは有りがたいと思うことが大事だ。
オフ会で感じたのは、過去の問題飲酒を唯一プラスに変えることが出来るのは、仲間との出逢い、語らいであると言うこと。自分の飲んだくれの過去があるからこそ、同じ過去を持つ仲間と、それを共通の話題にして語らうことが出来るのだ。
しかも、この断酒の仲間には、年齢・性別・世代・職業その他一切関係ないのだ。過去に飲んでいて、今は断っていること、ただそれだけでいい。それを証拠に、昨日は、自分の娘のようなはむちゃんと、楽しく会話が出来た。
これは、断酒した人の特権と考えて良いだろう。
あなたも断酒して、奇跡の出逢いを経験してみては如何だろうか。
自分があのまま酒を飲み続けていたら、もちろんこんな素敵な出逢いは無かったし、それどころか、今頃命すら無かった可能性を思うと背筋が寒くなる。
これからも、酒を断つことの意義を、少しでも多くの人の心に届けたい!
(みなみさんが撮影してくれた、オフ会。
宴たけなわで、のみすけが笑顔の参加者の方の写真を撮っているところ。
編集に使ったのがfilmoraの試用版なので、「filmora」て透かしが入ってるけど、楽しい雰囲気が伝わればOK!ってことで)
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