やめて間もない頃は、何とか酒を嫌いになろうと、酒つまりエタノールの人体への悪影響を調べては、日々ブログに書いていた。
いつまで続くのかと不安に苛まれながら、毎日酒を我慢し、毎日酒害を学び、毎日断酒ブログを更新している内に、いつの間にか自分の生活に酒が不要になっていた。歩みは亀のようにのろかったが、着実だったことは確かだ。
こうしてブログを書いている時だけ、かつての飲酒とそれが自分にもたらした諸々の悪影響を思い出し、己を戒めている。
今、断酒の安定期を迎え、過剰な飲酒の結果として現れる具体的な酒害について、別の角度から考えることがある。酒を飲む行為は、物理的な身体へのダメージの他に、悩み、不安、トラブル、裏切り、夫婦不和、家庭崩壊・・・つまりは色んな不幸の種の詰め合わせを飲むことなのだ。これら不幸の種は、どんどん成長し、暴れ回る。
嫌なことから一時的に逃れたくて、酒を飲む。
とっても嬉しいことがあったから、酒を飲む。
ほろ酔い程度で終わらないならば、これのどちらでも、飲んだ酒は、不幸の種となり、更に日々飲む酒によってどんどん不幸は成長して行き、いつしかその実が熟すことになるのだ。
熟した不幸の実は、木から落ちる。それは、病気で入院することだったり、仕事を失うことだったり、家族を失うことだったり、飲酒運転で誰かを殺めることだったり・・・気分を高揚させようとして飲んだ酒=不幸の種は、いつしか必ず己を蝕むことになる。
酒が不幸の種であることに気付き、自ら断酒した仲間。その方々の話を、会った時に聞いたり、コメントで読んだりすると、家族との関係が改善したと言う人が圧倒的に多い。
《酒を飲む=不幸を飲む》図式であったのを、断酒によって断ち切り、
《酒を断つ=幸せを呼ぶ》図式に変えたからである。
家族は、ひとりで酒を飲む姿を、やり切れない思いでずっと見て来たはずだ。何を言っても、やめてくれず、飲み続ける姿に、どんな気持ちを抱いていたのだろう。
こんなことを考えると、自らの意志で酒を断ち、5年目を迎えた今でも、飲んだくれて迷惑をかけていた当時の家族に対して、申し訳ない気持ちで一杯になる。酒を飲んで、一時的に気持ち良くなっていたのは錯覚で、実はせっせと不幸を飲んでいたのだ。
酒は飲んでも飲まれるな、とか言うけれど、蛇がカエルを丸ごと飲み込むように、飲んだくれは、酒に丸ごと飲まれてしまっている。このことが、酒に飲まれてしまっている本人には分からないから、始末に負えない。
同じくカエルで表現するなら、世に有名な「茹でガエル」だろうか。最初から熱ければカエルはすぐにピョンッと鍋から飛び出して一命を取り留めるだろうが、徐々に熱せられると、カエルは飛び出す機会を失い、そのままお陀仏。
酒好きも、アルコールによって徐々に茹でられて、アルコール鍋から飛び出す機会を見付けられず、いつの間にかアル中になっているのだ。
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