日常的に酒を好きなだけ飲んでいた人が、突然断酒すると・・・
私がそうだったので、恐らく多くの人が同じ感覚だと察するが、断酒後数か月は、飲むと死ぬものを、飲まないと死ぬかのように、恋焦がれている自分に焦る。
酒の本質は、飲むと死に、飲まないと生きる飲み物なのだが・・・
頭では分かっていても、酒ってなかなかやめられない。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年6月8日
やめてからも暫く大変。
飲まないと死にそうにつらいし、飲めば楽に生きられそう。
本当は真逆なんだけど。
酒の主成分たる薬物・アルコールの強力な依存性だ。
『飲むと死に 飲まねば生きる 酒なれど 飲まな死にそう 飲めば生きそう』
まぁ、こんな感じで矛盾している。
Twitterからの再録。
『飲むと死に 飲まねば生きる 酒なれど 飲まな死にそう 飲めば生きそう』
酒に限らず、例えば身近なタバコも、ニコチンの依存性によって、喫煙しないとイライラして来てどうしようもなくなる。常習的な喫煙の経験者の方は、お分かりになるだろう。
タバコも、極論すれば、吸えば死に、吸わねば生きる、と言って良いだろう。
つまりこれらの依存性薬物は、合法であっても、非合法であっても、一時しのぎの快楽を得るに過ぎないのだ。飲んだ時だけ、吸った時だけ、打った時だけ・・・その薬効成分の作用時間だけ。
使用を続ければ、薬物ジャンキーになって、何度でも同じ薬物が欲しくなる。これは、覚せい剤や麻薬でも、酒やタバコでも同じこと。法的にNGかOKかの違いしかない。終いには薬物で蝕まれ、身体も心もボロボロになり、日常生活に支障を来たすようになる。
酒の場合だと、飲むと死ぬ、生きるには飲まない選択しかない。厳しすぎるかもしれないが事実である。このことを肝に銘じて、日々を送るのが賢明だ。
死ぬ、生きるとは、呼吸している身体が死ぬ・生きるの前に、心が生きているか死んでいるか、である。心臓が動き、呼吸していても、日々アルコールを身体に入れているようならば、心が生きているとは言えない。
飲むと死に、飲まねば生きるとは、心が活き活きとしているかどうかだ。毎日ワクワクして生きているかどうかだ。酒なんぞ飲んだところで、ワクワクするだろうか。精々が、飲み過ぎた翌日、頭痛がズキズキするくらいだろう。
タバコだって同じこと。あんな臭いもの、吸わずにいられない生き方は、少なくとも私は嫌だ。(タバコ大好きな方、反論はご勘弁を!私は大のタバコ嫌いなので、タバコ好きな方と議論しても平行線で無意味!)
酒を飲まずに、毎日ワクワクして、色んなことにドキドキして生きよう!
全くの偶然だけれど、今晩行われたskypeミーティングでは、この、「飲むと死ぬ」ことについて熱い発言があった。タイトルを決めて書きかけていたので、思わず、「おぉー!飲むと死ぬ・・・今日のブログです!」と発言してしまった。
skypeミーティングは、その日の参加メンバーが20時に全員集合するわけではなく、時間もバラバラだし、家庭の事情で音声は聞くだけで、テキストチャットで参加の方もいらっしゃるし、そんなに気張らず、気軽に参加出来るので、私も!と思う方は、是非参加を!(因みに、数分延びることがあるけれど、21時にはほぼ終了のルール。5分だけでもどうぞ!)
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