今朝、地下鉄の某駅のホームで、学生らしき若者(♂)が一人寝転がっていた。
傍らには、大量の吐瀉物。そして、必死に介抱する友人(♂)。少し離れて成り行きを見守る別の二人の友人(♂、♀)。
朝まで飲んでいたのだろうが、酔っ払って倒れている若者は、かなり苦しそうだった。その光景で、かつての自分を思い起こした。気持ち悪さの記憶までかなりリアルに蘇った。大量のアルコールが身体に残留し、肝臓が必死でそれを分解しているのだが、途中で生成されるアセトアルデヒドが、更に身体を不快にする。
飲んでいる最中はやたらと楽しいのだが、いつの間にか度を越して飲み過ぎてしまい、気付けば泥酔しているのだ。酒の恐ろしさは、食事と違って満腹感が無いことだ。いくらでも飲める。
私もかつてそうだったのだが、こんな、二十歳そこそこの連中が、何故酒なんぞを飲む必要があるのだろう。
飲んで陽気になりたいとか、騒ぎたいとか、楽しいとか、そんな理由なら、酒なんかなくても、実現出来る。
素面のまま、ハイテンションになれば良い。飲まずにハイなら酒は要らないのだ。超健康的で、酒なんぞないほうがその場も楽しいし、翌日もしゃきっと起きて、すぐに行動出来るし、良いことばかりではないか。
以前も、同じことを書いた。
飲む理由が、酒がうまいから、ならば、分からなくもない。が、結局は、それで酔ってしまったら、酒の味などどうでも良いのではないだろうか。
どこぞの醸造で、特別の米を使った日本酒だとか、幻の焼酎だとか、私もかつて飲んだことがあるけれど、それは最初のひと口だけで、酔って来ると、何を飲んでいるのかなんて、意識していない。
そんなことならば、酒なんぞ飲まずに、他のもの(フルーツジュースとか)を飲んで、集った人とシャープな頭で色んなことを話したほうが楽しい。アルコールでハイになるのは危険である。酔って全く人間が変わってしまう人もいるからである。
酒を断ったら暫くの間は、酒の席には出ないほうが良い。どんなに決心が固くても、目の前で飲まれたら、心がグラグラするからだ。
けれども、どうしても出なければならないこともあるだろう。そうした時、どうしよう・・・とドキドキするより、酒なんぞなしの素面でハイになってしまうのも手だ。周囲にどんどん酒を飲ませて、自分はジュースで盛り上がるのだ。
なーんだ、酒なんて要らないではないか。
きっと、このことに気付くだろう。周囲には、酒臭い息を吐き、意味不明なことを繰り返し話す酔っ払い。自分は、全くの素面。このギャップが面白い。
(写真は、義父が7年前の今頃撮影した、中尊寺の蓮の花)
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