私が飲酒の現役時代、決して出来なかった、節度ある飲酒。
実際のところ、酒好きの人で、これが出来ている人っているのだろうか。多かれ少なかれ度を越してしまうのではないだろうか。
節度ある飲酒とは、予め決められた分量と、飲み方を守ることだ。これは、病気の時に処方される薬の服用と同じである。
薬は、有効成分の量が乳幼児、小児、大人などで違っており、決められた量より少なくても、多くても、その効果を発揮しない。そればかりか、もし多く飲んでしまったら、命に関わることがある。
飲酒を薬の服用に例えて2年前にブログ記事を書いたことがある。
どんな酒の飲み方になるか、結局は、その人の性分によるわけで、節度を保てる人と、どうしたって飲み過ぎてしまう人と、酒を飲む人は大きく二つに分かれる。
薬効的には変わらないのに、服用(飲用)の仕方が全く違う、酒と薬。
酒は、節度さえ保つことが出来れば、それほど害はない。が、飲んだくれには、それは難しい。
薬はそもそも、決められた分量を、決められた時間に飲むだけで、酒のように、もっともっと、まだまだ、とだらだらと同じ薬を飲み続けるなどは、あり得ない。(一部、ジャンキーな人が、ある特定の風邪薬を大量に飲んでトリップしている話を聞いたことがあるけれど・・・)
絶対にあり得ない設定だが、私がたった今から節度ある飲酒が出来る身体になったと仮定する。予め決めた量を飲みほしたら、そこでピタリとSTOP出来るとする。
それでも、私は、飲まない。飲みたくない。酒が毒であることを知っているからである。断酒初年度に身に付けた酒害に関する知識は、いつも自分を守ってくれる。
アル中にとっての飲酒は、0か1しかない。0は、全く飲まないこと。つまり断酒。1は、好きなだけ飲むこと。アル中に節度ある飲酒を説いても、全くもって無意味である。そんなことが出来ていれば、アル中ではないからだ。
このブログを読んで下さっている方は皆さん、節度ある飲酒は出来ない人だろう。
節度を保てないなら、近づかないほうが良い。離れているのが最善である。これは、酒だけではなく、世のあらゆる依存症に言えることだ。ギャンブルにしても、薬物にしても、近づかないのが賢明である。
酒は、薬。アル中にとっては、百毒の長であり、決して服用してはならぬこと。
節度ある飲酒に、もし、憧れている人がいるなら、そんな考えは、捨て去って欲しい。その程度の量で満足出来ないから、今の断酒している自分がいるのだ。
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