私が目指し、実践しているのは、愉快な断酒、痛快な断酒。
断酒に限らずなんだって、どうせやるなら、楽しい方が長続きする。しかめっ面をして、丸で被害者のような、何か我慢しているような、そんな断酒は絶対に長続きしない。断酒していても、身体のどこかに変調を来たす。
こうして毎日ブログを書いているのも、自分が気付いた断酒の面白さを、多くの人に伝えたいからだ。
はっきり言って、酒を飲むより、断酒のほうが楽しい。もちろん、私も断酒初年度は正直な話、断酒が辛くて、強がっていた。そんなおっさんでも、こうして今、全く酒の無い愉快な生活を送っている。
タバコでも同じ経験をしているが、生きて行く上で不要なものに依存しているって、きちんと考えると、かなり不気味なことではある。
基本的に人間は、赤ちゃんの頃からそんなに変わらないはず。おぎゃーと生まれて、いきなりプハーとタバコを吸う赤ちゃんはいないし、母乳やミルクの代わりに酒を飲む赤ちゃんもいない。
段々と成長するに従い、世の中の無意味で有害な《大人の習慣》に、いつの間にか染まってしまうのだ。
タバコも酒も、一度染められてしまうと、中々染みが取れない。何しろ、人間をコントロールしている脳が、ニコチンやらアルコールやらを求めるように改造されてしまうからである。
酒に限って言うならば、酒なしでは生活出来ないように変化してしまった脳を、自分で酒を不要とするように染め直し、大改造するのが、愉快・痛快な断酒である。
何度でも同じことを書くけれど、飲酒のあほらしさ、飲酒のバカバカしさ、飲酒のくだらなさ、酒害の恐ろしさ、など、これらを徹底的に頭に叩き込んで納得すれば、愉快・痛快な断酒の意味が分かる。
最近、感じた酒に酔うことの恐ろしさ、飲みたいけど酔いたくない心境の下らなさのtweetを二つ貼ってみる。
泥酔すると、手術前の全身麻酔と同じようになってしまう。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年7月24日
これが如何に恐ろしいかを、素面の時にじっくり考えると青くなる。
泥酔するまで飲まなきゃええやんて?
それが出来たら断酒してないな。
アル中には、飲酒抑制のブレーキもストッパーも付いてない。
付いてても、とっくに壊れてる。
酔うために飲む酒なのに、酔わないためのサプリメントって一体???
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年7月25日
『飲めば酔う 飲まねば酔わぬ それなのに 飲んで酔わぬを 求める愚か』
『酔わぬ薬 飲んではみたが はちゃめちゃに 度を越して呑み 無残無意味に』
『酒以上 高価なサプリ 効くはずが 頭ガンガン 吐き気絶頂』
泥酔が手術前の全身麻酔と同じだと思ったのは、名鉄犬山線で、泥酔状態で横たわる男性の上を電車が通過した、とのニュースを読んだからだった。
酔わないためのサプリメントの矛盾については、ネットの広告で、そんなキャッチフレーズの商品が出ていて、感じたのだった。
自分には毒薬としての酒だが、アンテナを張っていると、おかしなニュースや話が目に耳に飛び込んでくる。
そんな時・・・よくこんなものを飲んでいたな、と、青くなることもあるし、やめて良かった~~~と、密かに心の中でガッツポーズと万歳三唱をすることがある!(^^)!
(写真は2枚とも、義父が7年前の今頃撮影したもの)
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