あまり人が好すぎるのも考え物だと言う話。これは、酒の世界に限らない。
義理人情に縛られて、義務のように付き合って、飲みたくもない酒を飲む、なんてことがまかり通っている。どこかできっちり線引きしないと、そんな人は、酒の犠牲になってしまう。
ここで、
義理とは、付き合い上、仕方なしにする行為。
義務とは、人がそれぞれの立場に応じて、しなければならない務め。
仕事上では、上司や取引先との関係で、プライベートでは、友人や親族との集まりで、断酒してから肩身の狭い思いをしている方もいらっしゃることだろう。
今朝方、そんなことがちょっと閃いて、tweetしてみた。
😀悩むのは損!下らん酒に付き合うことなし!飲んだくれには嫌われた方が得!😜
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2017年8月3日
『酔っ払い 勝手に飲んで 管を巻く 付き合いきれん 素面の我は』
『飲む酒に 付き合う義務も 義理も無し 飲む奴は飲め 我は関せず』
『飲まぬ奴 つまらん奴だ あっち行け? おぉ有難や 先に失礼!』
日本の社会特有の、義理人情とか、義理と義務とか、そんな感情に押し流されて、渋々ながら付き合いの酒を飲むのは、馬鹿らしいことだ。付き合いで毒を飲んでどうする。
八方美人と言うけれど、どこから見ても、誰から見ても、欠点の無い人なんて、いないわけで、そんな人を目指すのは、人間としてかなり無理がある。
そうは言っても、周囲から嫌われたり、除け者にされることには、極端に敏感になってしまう人が多い。私もかつてはそうだったが、断酒してから考えが変わって、自分の主義・主張と相容れない人とは、無理に合わせることは無いし、寧ろ嫌われてしまったほうが、随分と気が楽だと。
これは、特に酒の席では痛感する。あなた飲む人、私やめた人。の場合、本来が、噛み合わないわけである。片やアルコールで頭が麻痺する人、こなた素面で頭がすっきりしている人だから。
酔っ払いになんぞ、どんなに嫌われようと、何とも思わない。この心境が、自分を解放するのだ。
下らない義理と義務で、酒の犠牲になるのは、誠に阿保らしい。
酒を飲む・飲まないは、個人の自由なのである。ここのところを履き違えているバカが多い。特に年配の飲んだくれに多い。飲まない人・飲みたくない人に毒の酒を無理強いする、或いは、飲まないと不機嫌になったりする。
そういう人は、酒に毒されており、脳がアルコールで変性してしまっているので、どうしようもない。こちらからすると、疎まれ、嫌われてしまったほうがさっぱりするのだ。
話は全く変わって、今晩のskypeミーティングも、実りが多かった。ここのところ、参加メンバーが固定してしまっているが、それはそれで、楽しい。一週間一度、一時間だけの断酒の雑談。いつも待ち遠しい。是非、皆さんも、参加されてみたら?
もうひとつ、東北オフ会のお話。
東北の方で、9月18日の日中、時間がある方は、是非、参加をお待ちしています。
参加したい方は下記のオフ会情報をご覧の上、メール下さい。
shallwedanshu@yahoo.co.jp
shallwedanshu@gmail.com
☆下記のイベントの詳細を知りたい方は、該当するイベントをクリックしてリンク先をご覧ください。
《オフ会情報》
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