今日は、6月に亡くなった父の納骨の為、北陸新幹線にて長野を往復して来た。
日中は東京以上に暑い長野盆地であった。恐らく35℃は越えていたに違いない。
もう、私の父の兄弟姉妹で健在の者はおらず、従弟たちが集まって、簡単に食事会をした。車での移動のため、誰も酒を飲まず、丸でブログのオフ会のような感じで、アルコールなしの楽しい時間が流れた。
信州へと新幹線が開通したのは、長野オリンピック(1998年)に合わせてだったので、もうかれこれ20年にもなる。便利になったもので、かつて碓氷峠を在来線が機関車を連結してエッチラオッチラ登っていた頃の半分以下の時間で新幹線は駆け抜ける。
前置きが長くなってしまったが、田舎での用を早々と済ませ、帰宅してうんざりしたのは、地元で行われている夏祭りだった。賑やかなのは好きだが、堂々と祭りと共に、例の飲み物(アルコール!)が我が物顔に登場しているのだ。
真夏と言えば、祭りと言えば、出て来るのは、泡の立つ飲み物と、酔っ払いである。ここのところ、ニュースでも飲酒運転がらみがかなり多く、うんざりしていたのもある。
「あ~あ、酒なんてもっと廃れてしまえばいいのにな~」と、ふと呟いた時に、廃れる酒→廃酒に関して過去に記事を書いていたのを思い出した。廃酒とは、一体どんなことかは、下記のリンク先の記事をご一読頂きたい。
2016/1/21
『断酒の上に廃酒あり(断酒2年313日目)』
廃酒は、断酒の上を行く言葉である。《廃》が付くと、意味的には、使えなくなったもの、捨ててしまうもの、不用なものとなる。用例に関しては、リンク先の過去記事に書いてある。
自分からも、世の中からも、酒なんぞ、《廃酒》で良いではないか!
少なくとも、自分個人から酒を廃して、生活上、何も不便を感じないし、全く何も困らない、どころか、酒の無い生活は誠に快適である。ならばこれを敷衍して、広く世の中一般に廃酒が広まれば、どうだろう。
酒によるトラブルが無くなり、過ごしやすくなることは間違いない。飲酒運転も無くなる、酒が原因の病も無くなる、アルコール依存症も無くなる・・・良いことばかりだ。
世の中から酔っ払いが一掃されることを想像すると、とってもワクワクするではないか。そんなこと、あり得ないから、更に想像が面白いのだろうけれど。
自分だけは、断酒をもう数歩進めて、廃酒で行こう。どぎつい暑さの中で、そんなことを思った。私の酒への思いは、ますます進化している。
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