酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

気付いた人だけの宝物(断酒4年160日目)

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 『断酒とは 先ずは自ら 気付くこと その胸中に 宝出現』

 

 断酒の気付きは、お金を何億円何兆円積んでも、自分の胸に現れることはない。これまでさんざっぱら大枚をはたいて酒を飲んできた人が、自分の酒に問題があると感じた時に、訪れる。

 

 この「気付き」だが、断酒に於いては、一種の「悟り」であり、またある種の「諦観」とも言える。 

 

 断酒生活を始めたことによって出現した宝は、自分だけの断酒の賜物。どこにも売ってないし、誰から譲ってもらうことも出来ないし、どこかの山奥にあるものでもない。
 

 その宝は、最初は不格好で路傍の石のようだが、飲まない日を積み重ねつつ、磨いて行けば、やがて光を放ち、更に磨けば磨くほど、キラキラと輝きを増す。

 

 ブログにコメント下さる方、オフ会でお会いした方、また、もちろん日々読んで下さっている方も・・・皆さん、自分と酒との関係について気付いた方々である。それぞれの方の胸の中に、色も形も大きさも輝き方も他の人とは違う、自分だけの断酒の宝物がきっと輝いていることだろう。

 

 ところで、何百万人もいる飲んだくれ(アル中)の数に対して、自らの飲酒の問題に気付いて酒を断つ人は、何パーセントくらい存在するのだろうか。

 

 以前、新約聖書の有名な言葉をタイトルにして記事を書いたことがある。
 

 2013/11/27
 『狭き門より入れ(断酒258日目)

 

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 マタイによる福音書7章13ー14節。 

  「 狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出す者すくなし。」

 同じく7章7-8節。

 「求めよ、さらば与へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。」

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 飲んだくれ(アル中)を念頭にこの文章を読むと、実にその通りではないか!

 飲んだくれを続ける、つまり滅びに至る門は大きく、その道は広い。実にたくさんの人が歩いている。 

 断酒に踏み切ることは、狭き門である。断酒を継続することは、更に狭き門である。断酒の道を見出す人はかなり少ない。

 

 自ら求め、尋ね、門を叩けば、断酒の門は開かれる。求めれば得られ、尋ねれば見出し、門を叩くものには断酒の道が開かれるのだ。

 

 断酒で得られた宝物は、自分の胸の中にあるだけではない。もうひとつは、これも、決してお金を何兆円と積んでも得ることの出来ない、とても貴重な宝物、断酒仲間だ。志を同じくし、一生断酒を共にする仲間。

 

 正に、気付いた人だけの宝物ではないか。大事にしよう!

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(家の近所で、昨日撮影した彼岸花。一足先に、もう秋のようだ。)

 

 

 

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