昨日の記事へのマジシャンさんのコメントから、酒はあらゆる機会を伺って、付け入る隙を狙っていることを、改めて考えた。
=====================
調べれば調べるほど、いかに酒が有害であるか、分かります。
飲酒欲求は全くと言って良いほどありませんが、今は断酒1年を過ぎたところで、何とも生き辛いのが現状です。
クリニックでは「慢性の離脱症状」と呼ばれています。
上手く生きることが出来ないから酒に頼ってしまったと考えられるのですが、そもそも「上手く生きる」とはどういうことなのか、これがまだ分かっていません。
=====================
酒は何も解決しないが、ほんの一瞬、その薬物効果によって、心を楽にしてくれる。生き辛いと感じていた心が反転する。何だか急に心が楽になる。これは事実だ。但しこの効果は、高熱に対す解熱剤、痛みに対する痛み止めと同じで、薬効が切れると、症状はぶり返す。
生き辛いこと・・・実に良く分かる。人生、それでも、命ある限り、生きてゆかねばならぬ。
人生、あまりにも律儀に、真面目に生きようとすると、どうしても辛くなることがある。そんな時、飲んだくれ時代ならば酒に頼ったことだろう。ほんのひと時の、酔うことによる麻薬の効果を求めて。
断酒してからだって辛いことはある。順風満帆な人生なんて、無いから。そんな心の揺らぎを、酒は虎視眈々と狙い、何とか私たちに付け入る隙を狙っているのだ。ゆめゆめ油断してはならない。決して酒なんぞに頼ってはならない。
それで、どうしたらいいの?と言われても、こうしたらいいよ、なんてお手軽な答えなど無いのだけれど、少しだけ最近の私の人生に対する考え方を披歴しようかな・・・
五十路も半ばを過ぎる辺りまで生きて来て思うのは、人生、上手く生きる必要は無い、下手に生きるのも、乙なもの。どたばたと躓いて、転んだってまた起きれば良い。酒さえ飲まなければ、何とかなるだろうってところかな。
今日は、仏教の世界から、私の尊敬する方々の言葉を紹介。
先ずは、私の敬愛する禅僧・澤木興道和尚が、こんな言葉を残しておられる。
「人生八十年、なあにやってしまったら同じことじゃ。」
もう一人、同じく敬愛する、こちらは作家で、天台宗の今東光和尚の言葉。
「人生は冥土までの暇つぶし、だからこそ極上の暇つぶしが必要なんだ。」
私もそうだけれど、コメント下さる方も、オフ会でお会いした方々も、皆さん、本当に大酒を飲んでいた人なの?と、疑ってしまうほどの、真面目な性格の方ばかりだった。だからこそ、辛いことがあった時に、酒に逃げてしまったのだろうけれど・・・
酒は何も解決しない。幻想を見せてくれるだけだ。いざ、酔いから醒めれば、現実世界は悪化していることが多い。
酒に付け入る隙を与えないように、生きて行こう。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)