自分が信じているヒトやモノやコトの価値。
ヒトであれば裏切られ、モノであれば瑕疵に気付かず、コトであれば上辺しか捉えていなかったとしたら・・・真実を知った時、自分にとってのそれらの価値は、それまでとは全く異なり、ゼロかマイナスになってしまう。
ひとつ、酒に於いて私は、このことを経験したわけだが、酒とは別のモノで、またまた最近トコトン味わったので、書いてみたい。
それは何かと言えば、私の実家の土地である。それまで千金とまでは行かないが、そこそこの価値があると思っていたのだが、実は全くの無価値であったことが分かった。
経緯としては、父も亡くなり、もう誰も住む予定も無く更地のままになっている実家の跡地を処分しようと、地元の不動産屋に売却の仲介を依頼した。
心の中では、いくらで売れるだろうか、どんなに少なくとも〇円くらいにはなるだろう、そうしたら、相続人で山分けしても、自分には△円くらいは入って来るな・・・と捕らぬ狸の皮算用をしていたわけだが。
ところが・・・
依頼していた不動産屋からの物件の詳細調査結果によると、土地の登記上の問題で、全くの無価値どころか、お荷物にしかならないことを知った。詳しいことは割愛するが、時は私が子供の頃に遡る。当時の土地に関わる法律改正を、私の両親がきちんと理解して、役所に届け出の紙を1枚提出していれば済んだ話なのだが・・・それをしていなかったばかりに・・・
この衝撃は、かなり大きかった。
この土地の、私の心の中での大いなる価値の転換は、酒と全く同じである。自分の眼に見えているモノは、全く変わらないのに、実はそれまでとは全く別のモノであることを知った時に、愕然とする。
酒に関しては、断酒前までは一蓮托生を決め込むほどに、自分にとっては無くてはならない飲み物だったわけだが、今では、私の心の中では、全くの毒物としての位置付けでしかない。
無知の怖さ。それによって、価値あると思っていたものも、全くの無価値になってしまうのだ。
ところで、酒とアルコールの正しい知識について、ここで、仮定の話。
酒、アルコール、飲酒における害悪について、今自分が持っている知見を、飲酒を開始した頃の自分が学んで知っていたとしたら、果たして、どのような酒飲みになっていたのだろうか。知っていれば、飲まなかっただろうか?
多分、飲まなかったと思う。
昔から、酒は怪しげなベールに覆われており、その真実の姿は中々見えないようになっている。
かつての、酒に関して全くの無知であった自分に教え諭すように、これからも、酒の真実の姿を私なりに暴いていこうと思っている。
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