酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

辛いのは錯覚だった?!(断酒4年184日目)

 現在、自分から酒を追放して、4年6ヶ月が過ぎて、明日から4年7か月目に入るのかな。

 

 今日のかみさん(妻)とのみすけ(私)の会話。今の心境が伝わるかな~

 

 妻:「お酒を飲みたい?」

 私:「全然いらない。と言うか、もう、酒は迷惑かな~オレには」

 妻:「迷惑?」

 私:「ほら、タバコの煙と同じだよ」

 妻:「なるほど、例えが分かりやすいね!」

 

 煙が出て来たので、これを使っている言葉で、煙たい(けむたい)とか、煙たがられる(けむたがられる)との表現がある。私には、酒は煙たい存在であり、酒は私に煙たがられているのだ。

 

 酒好きの飲んだくれの存在も全く同様で、私には、飲んだくれどもは煙たいし、飲んだくれどもは私に煙たがられている。

 

 これほどに酒が自分にとって不要なものとなってしまった今、断酒直後の苦しさは、錯覚に過ぎなかったような気がする。酒をやめた人は、飲みたい酒を我慢しているのだから、飲酒欲求を苦しむのが当たり前、いや、寧ろ、そうでなければ断酒ではない、みたいな思い込みが激しかったような。

 

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 そんなことはない!辛かったのは確かなことだ、けれども。

 

 《錯覚》もどういうわけか、過去記事には沢山使っている。中でも、《錯覚》をタイトルに入れた、この記事は、読み返してみたけれど、正にその通りだな~と、思った。

 

 2014/5/30
 『錯覚を売り幻想を買う(断酒1年77日目)

 

 造って売る側は飲んだくれに《錯覚》を売り、買って飲む側は《幻想》を飲んでいたのだとすると、辛かったことさえ、実は錯覚だっとしても、あながち誤りとも言えないのかな。

 

 薬物アルコールを介した、合法的な《錯覚》&《幻想》の売り買いが、酒の本質なのであって、飲めば飲むほど空しくなることがそれを証明している。二日酔いの不快さは残るけれども、何かズシリとした重みのあるものは何一つ残らないのが、飲酒の結果であろう。

 

 こう考えてみると、断酒当初、辛かったのは事実かもしれないが、何と言うか、酒如きに人生の辛さを感じたなんて、今となっては、何とも馬鹿らしいのだ。

 

 《幻肢(げんし)》をご存知だろうか。

 

 事故や病気で手や足を失った人が、存在しない手や足を感じ、動かすことが出来、そして痛みも感ずることがあると言われる。これを幻肢と言う。

 

 断酒の辛さは、幻肢に似ているような気がする。もう、失ってしまって実態が無いのに、それがあたかもあるかのように、私の心を苛んだ。よくよく考えて見れば、その痛みの実態は、最早飲むことをやめた、酒なのであった。

 

 断酒の辛さをあれこれと思考してみたが、こんな風な捉え方も面白かったかな。

 

 

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