断酒すると、最初の頃の苦しさと引き換えに、沢山の良いことがある。
(ごくまれに、断酒の苦しさが殆ど無い人もいるようだ。)
しかも、断酒の苦しさなど、最初の数か月がピークで、後は少しずつ楽になり、1年の月日が流れれば、寧ろ飲まない生活が当たり前になる。
私の断酒当初、いくつかのメリットのうち、すぐに効果があると感じたのは、酒代が掛からないこと、つまりカネが浮くことだった。一日飲まなければ、その日に消費していたはずの酒代が丸々掛からないわけだ。
だが本当は、浮くカネなどは大して重要ではなくて、一番大切な自分の、延いては家族と関係者の「命」が、自分が断酒することによって保護され、磨かれ、輝きを増しているのだ。
カネがいくら浮いても、自分と家族と関係者の「命」が活き活きとしていなければ、全く意味が無い。
命は尊いのに、酒に飲まれていた頃は、いとも簡単に危険に晒していたことを、今とても痛感している。アルコールが身体を駆け巡ることが、如何に身体を蝕む行為だったのか。身体の内側の臓器が傷つき、酔っ払って行動することにより、怪我をするなどして体表が傷つく。
飲んだくれのころは、即ち、命が傷ついていたのだ。自分の命ばかりでなく、家族の命や、他の人の命も、傷ついていたはずだ。
昨今の、アルコールが絡んだ事件の報道に接する度に、酒を断っていなかったら、自分も似たような事件を起こしていたかもしれない、といつも感ずる。
酒(アルコール飲料)・・・世間の人は、気軽に飲むけれど、その同じ飲み物は、自分にとってはもう二度と口にすることのないもの。口にすれば、命を落とす飲み物、それが自分にとっての酒の位置付けである。
酒を飲み続けることは、真綿で自分の首を絞め続けることと同じ。じわじわじわじわと、息が苦しくなって来る。それでも飲み続ければ、ついに呼吸困難に陥る。その苦しさから一気に逃れるには、断酒あるのみだ。
ここ数日、断酒してはいたけれど、何らかのきっかけからスリップしてしまった方のブログをいくつか拝見した。もし私がスリップしたら、との思いで、その正直なスリップの吐露を読ませて頂いた。
断酒していた人が、一度飲酒に戻ってしまうと、砂漠に水が染み込むようなもので、満ちることがない。私が再飲酒しても、全く同じ経緯を辿ることだろう。
それでも、自分の命の大切さ、家族の命の大切さに気付き、再度断酒へと舵を切ること、この決して諦めぬ再チャレンジが、素晴らしい。そう、何度スリップしても、その度に、何度でも断酒すべきだ。断酒は、命を救う。
そして、オマケだけれど、断酒は、カネが浮く。浮いたカネを有効に使って、救われ助かった自分の命、家族の命、関係者の命を喜ばせてあげよう!
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