この酒の写真、前にも使ったので、見覚えのある方がいらっしゃることだろう。
今月頭の10月4日に、記事にしている。
この、調味料として使っている日本酒だが、1週間ほど前に空っぽになってしまった。右が空っぽの容器、左が今日買って来た容器。
(並べて見て、同じ酒だけど、微妙にパッケージのデザインが違うことに気付いた。)
空っぽになったなら、買ってくればいいのだが、何だか面倒くさくて、そのままになっていた。で、思い出したように、今日買って来た。
昨夜、かみさんが料理に使おうとして、無いことに気付き、のみすけに、
「あれ!? お酒無いんだけど、買ってきてないの?」
「あ!そうそう、結構前に切れてたんだけど、買うの忘れててさ」
とのみすけ。
酒以外の調味料なら分かるが、飲んだくれの家の台所では、1週間も酒が切れていたなんて、全く考えられない会話では無かろうか。
アル中は、多少の好みはあれど、酒なら何でも良くて、それがすぐに飲めないのが、困るのである。だから、アルコールを切らすことを、極端に嫌う。飲み干しても、連続して飲めるように、酒にだけは用意周到なのが、アル中である。
我が家では、のみすけが、酒を断つまでは、日本酒を切らしたことは無かった。何故ならば、切れる寸前、或いは切れるとすぐに、買いに走るからである。
しかし又、酒の切れるのも早かった!何故ならば、のみすけが、あればあるだけ飲んでしまうからである。
ところが、今。
酒の中で必要なのは、日本酒だけで、しかも、あれば極少量、料理の味付けに使うが、無くても別に困らない。
そう、私の酒に対する感覚が、全く変わってしまったのである。
嫌酒によって、断酒が軌道に乗ったが、今や酒には無関心なのかも知れない。嫌いとか、好きを通り過ぎてしまった。
醤油を好きかと、問われたら、あなたは何と答えるだろう。
そもそも醤油を飲み物としては考えないだろうから、
「好きも嫌いもないよ、調味料でしょう、醤油は・・・」程度の回答になるのかな。
酒の中で唯一我が家に常備されている日本酒だが、もはや飲み物ではない。
使う時に、プーーーンと漂うアルコール臭が鼻を衝くのがイヤなので、大さじとか小さじとかで測る時、自分の顔からは遠ざけるようにしている。その点、かみさんは無頓着で、あまり気にしていない。
自分が、煮ても焼いてもアル中であることは自覚しているので、酒に対する油断はしないけれど、こんな感じで、かつての大好きだった飲料は、今やあると使うけど、無くても別に困らない調味料になったのである。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)