数日前、札幌で、父親が飲酒運転して事故を起こし、1歳児が亡くなった。
報道によれば、同乗していたのは他に、妻と友人男性だったそうだ。
事故が起きた23時頃まで、この3人は、居酒屋を2軒ハシゴし、生ビールを含み、計30杯以上の酒を飲んだと言う。その間、1歳児は何をしていたのだろう。
このニュースに接した時、私は、なんて酷い親なんだろう、と憤りを感じると共に、亡くなってしまった1歳の子供が憐れで仕方なかった。1歳と言えば、やっと歩き出し、ほんの少しだけ「パパ」「ママ」「ブーブー」とか喋り出す頃だ。
酒を飲んで酔っ払うのは大人の勝手だが、その犠牲になる子供がとても不憫である。子供は、家で遊びたい、早く寝たい、お母さんとお風呂に入りたい、とか、もっと子供ながらやりたいことがあったはずだ。
それに、大人が集う居酒屋は、たばこの煙がもうもうで、うるさい酔っ払いが管を巻き、ガチャガチャしている。子供は味の濃過ぎる大人の酒のつまみなどあてがわれ、静かにしている他はない。
子供にとっては、大人の集う飲み屋など、おもしろくもなんともない。ある意味地獄かもしれない。
大人の酔いたい都合で、子供を酒の犠牲にする。これは、かつて私もやっていたことなので、その身勝手さは良く分かるのであるが・・・
子供が酒の犠牲になるケースは、このニュースのように飲酒運転だけではない。
自分の親がアル中の場合、度を超すと育児放棄(ネグレクト)されたり、酔っ払って振るわれる暴力を受けたり、或いは、父親が母親に対して行うDVを間近に見て育ったりする。
他にも、親が酒で身体を壊して早死にしてしまうとか、親が飲酒運転による交通事故の被害者になってしまうとか、色々とある。
何れにしろ、酒の犠牲になった子供は、大人になるまでの成長過程に於いて、心に深い傷を負ってしまうのだ。
酒そのものに罪はない。酒の飲み方を誤ってしまった人がいけない。それは良く分かる。
だが、酒と言う飲み物、これは魔物である。
酒を飲む人間に二種類あり。
1.酒に飲まれず、これをコントロールして飲める人。
2.酒に飲まれて、全くアンコントローラブルに飲んだくれる人。
断酒する人・しなければならない人は概ね、2.の人である。
子供がいる人で2.の人は、
・自分勝手に酔っぱらって、我が子を犠牲にしてはいけない!
・自分の問題飲酒に気付いたら、断酒に踏み切るべきだ!
・未来ある我が子のために!
因みに、私のみすけは、断酒するのが遅すぎた!
私が断酒したとき、子供は既に中学生になっていた。
だからこそ、もっと小さな子がいるあなたへ、私は自分の経験から、
「一緒に断酒しよう!」と呼びかける。
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