断酒の卒業!?
GTOさんのコメントに、
「断酒に卒業があってもいいじゃないか」と・・・
このフレーズから、かなり昔、岡本太郎が出ていたCM、
「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」
を思い出した人は、私と同世代かな?!
《断酒の卒業》
考えたことが全く無かったので、短いフレーズながら、かなりの衝撃を受けた。
これを含め、GTOさんのコメントの中には二つの問いかけがあった。
1.飲酒に卒業があるなら、断酒にも卒業があるのではないか?
2.私のみすけ自身の断酒だが、もう意識していないのではないか?
1.については、単に私個人の考えを述べる。
もう断酒など意識しないでも酒が不要になったなら、断酒の卒業かもしれない。そこまで進むと、本当に酒など不要だとも思う。
けれども、見た目も意識も全くの真人間のようになったとしても、如何せん、私たちの身体は、頭の天辺から足の先まで、細胞のひとつひとつが、アル中なのである。
60兆あると言われる細胞ひとつひとつのDNAが、アル中DNAに書き換えられてしまったと言っても過言ではない。これを元に戻すことは出来ない。
なので、私の考えでは、断酒に卒業はなくて、一度断酒学園に入学したならば、ずっと在学生であって、卒業は無いと考えている。在学の期間が長くなるに連れ、どんどん、断酒のレベルは上がるけれども。
ただ、断酒学園在学がどんなに長くなっても、休眠状態のアル中DNAは、いつでも目覚めるので、一瞬で魔が差して、翌日からまた、断酒学園へようこそ!再入学おめでとう!に、なる可能性がある。
2.については、私自身のことなので、明確に答えることが出来る。
断酒とは、文字通り、それまで飲んでいた酒を断つこと、その状態だが、今では、酒を断っている意識は無いことは確かである。
初期の頃は、飲みたいものをやせ我慢して飲まない状態。今は、全く飲みたくもないし、絶対に身体には入れたくない代物が酒。少なくとも今の私の状態は、断酒ではない。
欲しいわけでなく、二度と飲みたくない飲み物としては、ブログを書く度に意識している。飲んだら、あの飲酒の無間地獄に舞い戻ることになる。それだけは絶対にイヤだ!
私にとって酒は、おぞましい、身の毛もよだつ、この世の物とも思えぬ、悪魔の、悪夢の飲み物である。
そんなわけで、断酒は、毎年、次学年に進級し、新たなステージへと進む。50年生くらいになっても、在学生なんだろうな~。
なので、断酒の「卒業証書」をもらう人・もらった人は、これまで誰ひとりも存在しないことだろう。
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