時に、一部の酒飲みは、筋の通らないことを主張する。
昨日[2017/12/13]の記事へのジンバさんのコメントを読んで、旧態依然とした酒飲みの頭の中は、一体どんな構成になっているのか、訝ってしまった。
この、妙な酒飲みの論理は、日本独特のものだろうと、推察する。欧米ではあり得ないだろう。
この手の、我が国に多く棲息する、思考回路が酒でショートしてしまった酒飲みに、仕事の取引と飲酒との関係を、理路整然と説明してほしいものだ。アルコールでやられてしまった頭では、筋の通った説明など出来るわけもないが。
どんな仕事にしろ、私が仕事を出す側ならば、酒を飲まない人に発注する。酒を飲まない人は酔わないから、安心して任せることが出来る。
他方、酒飲みは、依頼されたことを忘れてしまったり、飲み過ぎた翌日、二日酔いで来れなかったり、あまつさえ、結構な頻度で、仕事の資料やノートPCを、電車の網棚に置き忘れてしまったりするのだ。
酒を一緒に飲むことと、仕事の受発注とを一緒くたにして、それを条件にするとは、一体どんな論理が働いているのだろうか?
これは、
「オレの酒が飲めねーのか」
に通ずるものがある。
つまり、自分が酒飲みなのだから、自分に関係するあらゆる人たちは皆、自分と同じように酒を飲まなければならない、と考えているのだろう。
まことにおかしな話ではある。
何故にそこまで、単なるアルコール入りの飲料である酒に拘るのだろうか。肝臓に負担をかけ、飲み過ぎると健康を害する飲み物=酒を、一緒に飲む人でないと、仕事での良好な関係を築くことは出来ない?
訳が分からない。
ただ、救いなのは、このような意味不明の論理を振りかざす酒飲みは、どんどんその生息数が減少しているはずで、恐らくあと10年か20年もすると、絶滅危惧種に指定されるのではないか。
今の若者は、酒に対してもっと冷めているから。
昭和世代のおっさんが、意味不明の酒飲みの論理を押し通そうとしているのだろうが、2019年に平成も終わり、新元号となれば、昭和世代のおっさんの酒の論理なんて、更に黴臭さを増して、誰も相手にしなくなるかもしれない。
酒を断つと、酒飲み達の行動や意見が、何だかとても滑稽に見える。
酒を飲まずにいる自分と、かつて飲んだくれていた自分を比べて、一体どちらの自分が本当の自分なのだろうと考えてみると、もちろん、断酒している自分に決まっている。
意味不明な言葉を吐いている酒飲みの頭には、「断酒」の二文字は存在しないことは明らかである。
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