「断酒したり、飲んだりを繰り返しちゃってます」
「また、スリップしちゃいましたので、ゼロからです」
「本当にやめたいのに、やめられません」
ブログにコメント下さる方や、メルマガに登録して下さった方から、断酒に踏み切っても、中々続かないとのメッセージを頂く。
これらのメッセージから共通して感じるのは、やめていたのに飲んでしまったことに対する落胆と、断酒が継続しない自分への苛立ちである。
ここで、私が思うことは、広い意味で、みなさんの断酒は継続しているのだと言うこと。
飲んだくれ時代の私が、これらの方々を見たとしたら、何とまあ殊勝なことに挑む人々なのだろうと、感嘆の声を上げるに違いない。
それほどに、飲み続けて来た酒を断つ、断酒は、酒飲みにとっては、人生に於いて、特殊で稀な行為である。
それに、断酒を自分の決断でもって、挑み、ある期間実行することは、素晴らしいことなのだ。
もちろん、一番最初に決断して実行してからずっと継続していることが望ましいわけだけれども、何度中断しても、また挑むと言うことは、その人の心の中に、断酒が息づいているからだ。
断酒の途中で、酒を飲んでしまった。けれども、何か心の中に引っ掛かる。それは、自分が酒を飲まないほうが良いことを分かっているからである。断酒が、心の中に生きている証拠だ。
なので、やめたり、飲んだりを繰り返してしまって、どうにも自分のことが情けないと思っている方がいらっしゃるなら、聞いてほしい。
決してそんなことはない。
これまでの道程も、それはそれで、ひとつの断酒の形である。これから、また別の断酒の形を自分で作っていけば良い。
ブログのタイトルに何年何日と書いている私だって、いつか再飲酒することが絶対に無いとは言えない。それは、不完全な人間であるからと、途轍もなく辛いことがあった時に、いっときとは言え、酒に酔えばそこから逃れられることを知っているから。
ひとつだけ言えるのは、不本意ながら飲んでしまった時にこそ、酒の害については、大いに学び、自分の飲酒の問題点をさらけ出すことだろう。
なぜ自分が酒を飲んではいけないのか、なぜ酒をやめることを選ぶのか、その断酒の原点を明確にすれば、それが、もう一度挑む断酒へのエネルギーとなる。
よし、この次こそは!と、挑んでほしい!
但し、孤軍奮闘するよりは、医療機関、自助の会、断酒仲間とのつながりを優先したほうが、断酒がずっと楽になる。何より、志を同じくする仲間の存在は大きい。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)